ときめき雨
ときめき雨 (からから高鳴る、この心。)
「……あー」
奏は面持ちを小さく歪め、外の景色を眺めていた。
天空から休むことなく降り注ぐ雨粒は強い勢いを持っていて、地面に跳ね返っては穴を穿つ。
昼過ぎから小雨模様。注意されたし。
天気予報の忠告も忘れ、傘の用意をしてこなかったことを今更ながらに後悔する。
振り返ると、靴箱の脇に置いてある傘立てには置き忘れなのか数本の傘がささっていた。
勿論奏にとって、他人のものを勝手に持っていくなど言語道断、許される行為ではない。そうではなく、傘立てを目にして、思い出すのは彼の横顔だった。
――夏目くんは、傘、持ってきたのかな。
操緒さんがいるのだから大丈夫だろうとは、思う。
けれど、その事実に何故だかちくりと胸が痛む。
「……どうして?」
胸に手を当てて、自問自答。
解答は得られない。雨粒の音が憂鬱を加速させていく。
どうして毎日、こんなに降ってしまうのだろう。
気分がモヤモヤして、うまく夜も眠れない。
いつから、ここまで弱くなってしまった?
雨雲が、心を灰色に満たしていく。
濡れて帰るのもいいかもしれない、なんてばかなことを考えかけた。
「あれ、嵩月」
――彼が、来るまでは。
「夏目、くん……?」
「まだ残ってたのか」
「保険委員会が、あって……。夏目くんは?」
「僕は補習しててさ。うわっ、雨降ってる」
げえっと顰めっ面になる智春の隣、奏は小さく微笑む。
「? どうかしたの、嵩月」
「あっ……ううん、何でもない。です」
慌てて誤魔化すと、不思議そうに智春が首を傾げる。
変なヤツだと、思われてしまっただろうか。不信感を抱かせてしまっただろうか。
奏は急激な不安に見舞われ、表情を歪める。
嫌だな、と思う。
他の誰に嫌われようと構わないけれど、彼だけには嫌な子に思われたくない。
――どうして?
「傘、持ってきた?」
「…………」
「嵩月?」
自問自答。繰り返して。巻き戻して、加速する。
でも、解答は巡ってこないから、辛くて。
「どうしたんだ?」
「!」
いつの間に、触れられそうなほど近くに顔があって驚く。
飛び退いた奏に、智春は呆然としている。奏の頬が赤く染まった。
まただ。またやってしまった。こうやって、反射的に。
勝手に彼を、拒絶している。
「ご……ごめんなさい。何でもないです」
「……そう? ごめん、驚かせちゃって」
首を振る。謝らなければならないのはこちらの方だ。
智春は、誰とでも仲良く話せるし、明るく笑えるし、本当に素敵な人だと思う。
そのかわりに、奏は誰ともうまく言葉も交わせなくて、可愛く笑うこともできなくて、彼の優しささえ気づかぬうちに遠ざける。
どうして、と、その答えは、分かっている。
私は、だって、彼のことを想っている。
強く、想っているのに。どうしたって伝わらないから。
「雨、止まないね」
「はい」
頷く。それだけ。それだけが限界だけれど。
もっと操緒のように明るく笑えれば、と思う。
もっと杏のように空気を盛り上げられれば、と思う。
もっと玲子のように凛と振る舞えれば、と思う。
無い物ねだりで、気持ちが沈んでいく。
「傘、持ってきましたか?」
「え?」
だから呟きも、取り留めのない一人言の体を成していた。
それでも、続いていく。
「私は、忘れてしまいました……。天気予報を見ていたのに、です」
「…………」
「どうして、でしょうか」
閃きも謎かけも、なしに。
自問自答が、世界に暴かれただけ。
聞いていたのは、たった一人だけれど。
「――それは、俺が持ってるから、かな」
「え?」
顔を上げた。
その先で彼が、笑っている。
「良かったら一緒に帰らない? 嵩月」
「え? その、あの……わたし」
「傘、持ってきてないんだろ?」
笑顔で智春が指し示すのは、片手に握られた折りたたみ傘だった。
奏はしばらく呆然とし、ようやくその言葉の意味を理解して、縮こまってしまう。
「いえ、申し訳ないですから……」
言いかけて、でも、止まる。
こうやって断って。
雨は変わらず続いて。
いつかの未来、後悔することになるなら。
彼の笑顔に、応えることの方がずっと――
「うー……」
緊張すると、言葉が詰まる。
訳の分からない呻き声が唇から漏れて、瞳が潤む。恥ずかしさで顔から火が出そうだ。
けれど、待ってくれていた。
変わらぬ笑みを浮かべて、智春はいつまでも、奏の返答を待っている。
明るく楽しい女の子じゃなくても。
陽気で賑やかな女の子じゃなくても。
それでもいいから。
ちょっとくらい、素直になりたい。
「な、夏目くんが、良かったら」
振り絞る。
勇気を、ありったけの勇気だけを込めて。
「……一緒に、帰ってください」
微笑んだ。
雨は止まない。
圭魅とネタ被りは仕様(^0^)/
そういや操緒どこ行った