「夏目くん」

 好きだからこそ護ろう。

「嵩月」

 護られるからこそ傍にいよう。

「夏目くん」

 あなたの傍にいられるように。

「嵩月」

 いつか君を護れるように。




さよなら愛しい人 (我が儘は言わないから、今だけはどうか温い奇跡を)









「……嵩月」

 そっと呼びかけると、腕の中の少女の両の瞼が小さく震えた。

「…………はい」

 確かな応えを感じ、胸の奥が静かにとくん、と鼓動を鳴らす。

「はい、夏目くん」

 美しい少女だった。
 長い黒髪は結わずに垂らし、滑らかな艶を零している。
 翡翠の幻想的な色を燃やす瞳は淡く輝き、智春と視線を合わせると、照れたように僅かに細められた。
 
 その美貌と相まって、まるで月光に消えゆくように白い肌は、けれど決して、透き通っているわけではない。
 少女が死にかけていたという事実を前にして。
 それでも。
 嵩月奏は、生きていた。
 この瞬間、確かに、生きていた。

「えっと……、あの」

 何を言おうと、していたのか。
 どんな言葉を、向けようとしていたのか。
 奏の裸身が思わず眼に入ってしまい、智春は顔を赤くして困惑する。
 気づいた奏も、恥ずかしそうに紅潮しながら、それでも智春の腕を振り払って逃げるようなことはしなかった。

 ただ、その瞳は、どこか寂しそうだった。

「契約を、交わしましたね」
「え?」

 暗闇の中、向き合う男女の距離感など気にしないような静謐な声で、奏が言った。
 真っ直ぐに、ひたむきに見つめてくる瞳と、智春が交差する。

「夏目くんは、私を、契約者に選んでくれました」

 唇と唇が触れあうくらいの、僅かな間であるのに。
 その言葉は、その意味は、その意図は、智春からは遠い。

 ずっと護られてきた。
 ずっと護りたかった。
 その願いは最後まで叶わなかった。
 智春は最後まで、頼ることしかできなくて。

「これで私はまた、夏目くんを護ることができます」


 結ばれた。奏を失わないために。
 彼女を死なせないために。
 愛していたからこそ、想いを伝えた。

 けれど。

「……ありがとう、夏目くん」

 こんな答えを望んでいたわけではなかった。
 彼女をこれからも戦わせ続けるために契約したわけでは、決してない。
 ただ。

 隣で、


「……たかつ、」
「いつか、夏目くんが」

 意思表示の弱い彼女にしては、考えられないタイミングで。
 智春の声を遮ると、奏は、哀しげに、嬉しそうに、愛おしそうに、微笑んだ。

 その表情は、あまりにも美しく。
 智春は何も言えずに、息を呑む。

「生きる未来で、私のことを、憶えていてくれたら幸せです」
「そ…………ん、なの」

 忘れない。
 忘れられるわけがない。
 他の何に差し替えたとしても絶対に忘れたくはない。
 けれど、あり得る現実なのだと、既に智春は知ってしまっていた。
 それが契約の、代償であり。
 これからも二人を縛る、鎖なのだと知っている。

 だから。
 ただ、柔らかい唇を、塞いだ。

「……好きだよ」
「はい」

 一瞬で離れてしまう、愛の味。
 それでも今も、繋がっている。
 未来でも、そう願う。

「……好きです」
「うん」

 ねえ。
 ずっと傍にいて、嵩月。


+ + +



「夏目くん」

 いつまでも護ろう。

「嵩月」

 いつまでも傍にいよう。

「智春くん」

 あなたの傍にいるために。

「奏」

 いつか君を護るために。




 好きだと、言えるように。







ブログに掲載したものに加筆修正したもの。

この二人にはできれば一生幸せでいてほしいです……。





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