いっと・いっと!




いっと・いっと! (あなたのタメだから、あなただけ、……です)








 洛高には購買と食堂があるが、毎日の昼飯をそこですませている僕は少々味に飽きを覚えつつもあった。

 ありがちな学校ネタというわけではないのだが、実際に購買での人気パンの取り合いは非常に厳しく、食堂でも美味い食の券は争いの火種となって生徒を騒がせている。

 所詮一介の一年生の身である僕が身を乗り出して昼食確保活動に勤しむわけもなく、いつも余ったメニューから適当に選んでいたわけだが、



「お腹すいた…………」


 先程から空腹の調子が大変な状況に向かっていた。

『もー、だから今日はお弁当作れば? って操緒が言ったのに』
「そんなこと言われたって……だったら朝起こしてくれれば良かっただろ」

 操緒も早起き苦手だから無理ですう、と舌を出されて、答える気力はなかったので机に俯くと返答は腹の音だった。


 冬休みを目前に控えた昼下がり、僕(の胃袋)は非常に危険な状態にあった。
 授業日程も完了し終え、午前に今後の予定やら講座やらが詰め込まれ、午後からは部活に打ち込むという日々がしばらく続いている。
 科學部の僕も謎の実験やただの雑談を繰り返してぼんやり過ごしていたわけだが、しかし、今日はそういうわけにはいかなかったのだ。本来は。


「今日が陸上部バレー部テニス部一斉合宿の日だったなんて、覚えてなかったんだよ……」


 この学校には変わった風習がある。
 運動部にありがちの強化合宿というやつがあるが、あれを別々の部活が共同で行ってしまう、というものだ。
 冬の寒い時期に何でそんなものを、と思いもするが、伝統は伝統なのだから仕方がない。

 ……と、割り切るわけにもいかなかったのである。

 何故ならば、その運動部に所属する生徒達は、名ばかりの授業が終わった途端一斉に教室を飛び出し。

 購買や食堂を蹂躙し、さっさと合宿へと旅立ってしまったからである。


『杏ちゃんも言ってたじゃん。トモも気をつけなよーって』
「はいはい……」


 忘れてた僕が悪いんだろ、と頭上を見上げると、よく出来ました、と操緒が笑っていた。
 教室に残る生徒は僕たち二人を含んでも十人にも満たず、みなさっさと部活に向かうか帰宅するかしたのだろう、抑えめの喧騒が広がっている様子だった。

「それで、どうするかな……」
『てゆうかさ、そういう問題じゃないでしょ』


 お金を持っているのなら、コンビニにでも行けばいい。
 それは、そうなのだが。



『トモ、お金忘れてんじゃん』



「っああああ〜」


 思わず頭を抱えて唸ると、周りから驚きと引いた視線。
 ……そう、そうなのだ。実際に「コンビニに行こう」と思い当たった時、確認してみればスクールバッグに愛用の財布の姿はなかったのである。
 そして間の悪いことに、杏は強化合宿に向かってしまい、樋口は朱浬さんと今日の実験の準備とかで不在、クラスに知り合いの姿は既になかった。
 特に仲の良い相手でなければお金を借りようとは思えないし、相手もとても貸す気にはなれないだろう。そして相談が相談だけに先輩達を頼るのもどうかと思ったので、僕はこうして途方に暮れて椅子で落ち込んでいるのだ。

「早く気づけばこんなことにはならなかったのに……」
『あはは、不幸体質不幸体質』

 なんて酷い幽霊なんだ、と睨むとなによ? と挑戦的に不敵な微笑み。
 操緒はそれなりの美少女なのでキマった表情ではあるが、しかし彼女が幽霊である限りお金は貸してくれないし食べ物も僕にくれないのである。

「ああもう、部活サボって家帰っちゃおうかな……」

 涙目に最悪の手段を口にした、その時。



「ダメ…………、です」



 ふわり、と空に浮かんだような、透き通る声が頭上から降りかかった。
 驚いて顔を上げると、そこには嵩月奏の姿があった。

 長い黒髪を一つに結い、姿勢の良い背中に滑らかに流している。
 どこか日本人離れした色彩の瞳に、整った鼻梁、ほんのり色づいた唇。
 おきまりの困ったような表情をして、美人のクラスメイトは僕の席の前に立っていた。

 彼女が現れた途端に、教室の空気が一瞬変わる。
 クリスマスを前にしているからか、チラチラと視線を寄越してくる男子に。
 テレビでも見たことのないような美貌を前に、相変わらずの好奇を持っている女子。

 しかしそんな視線を気にしていない様子で、嵩月は僕だけを見つめ、言葉を重ねた。

「今日は、朱浬さんが大切な実験だからって……言ってたから」

 そんなの無視してしまえばいいのに、ひどく真面目な嵩月にとっては、先輩の号令というのは破れない約束の一つであるらしい。思わず苦笑してしまった。

「うん、分かってるよ。朱浬さんの言いつけを破ると後が怖いし……頑張って午後も耐える」
「えっ、と……」
「?」

 まだ何か、用事があるのだろうか。
 言い淀んだ嵩月は、あー、うー、と何度も繰り返しながら、それでも決してその場を去ろうとはしなかった。

 とりあえず何を言われるか待つ姿勢に入ると、操緒まで『むー』と唸りだした。

「な、何だよ操緒」
『別に何でもないけどっ』

 トモのバカ、と僕を軽蔑するような視線で一瞥すると、彼女の姿はたちまち虚空に消えてしまう。

「はあ……? 何なんだよ、一体」

 訳の分からない操緒の行動に憤慨していると、「あ、あのっ」と嵩月が一際大きい声を上げた。
 といっても、控えめで声の小さい彼女の精一杯は、やっぱり小さかったけれど、そこに込められた気迫だけは伝わってきたのだ。

「な、なに? 嵩月」
「わ、私……これを」

 後ろ手に回していた片手を、躊躇いがちに持ってくる。
 うん? と見てみると、それは大きな風呂敷だった。


 ……と、それで、さすがの僕も気づく。
 もしかして、と、期待してしまう。

「嵩月、これ……」
「あっ、お、おべん、とう……」

 作ってきたから、と。
 呟いて、顔を背ける嵩月は、耳まで真っ赤にして恥ずかしそうにもじもじしていた。

 静かめだったはずの教室中にザワ……と戦慄が走り、衝撃のスクープへの注目がたまらない。
 あの嵩月が、夏目に手作りお弁当を、と耳打ちの声も胸中の声も筒抜けになって聞こえてくる。今すぐこの場から逃げ出したくなるが、そんな度胸も勇気も僕にあるわけがない。

 なにせ、嵩月が、である。
 高嶺の花の美少女が、僕なんかに手作り弁当をくれる、というのである。

 ……逃げるなんて、そんな勿体ないこと、できるわけもない。


「く、くれるの?」
「……はい……」

 喜びに舞い上がりたいキモチをぐっと堪え、震える唇をなんとか噛みしめる。
 これは――なんというかもう、波瀾万丈だった今年をおいしく締め括る最後の幸福なのではないだろうか。
 いろいろあったけど、ご褒美、みたいな。そういうことなんじゃないだろうか。

 天の神さまに初めて感謝したい気持ちに駆られながら、「じゃあ一緒に――」と男の根性を絞りかけた瞬間だった。


 やっぱり神さまは、僕の味方なんかしなかったのである。


「あれー? トモ、まだ教室に残って……って嵩月!? その包みは一体……はッまさか! それは嵩月特製の手作り弁当では!? 俺にもくれ!」
「ちょっと嵩月さん!? それどういうコトよ! 夏目に手作り弁当ってほんとなの!?」
『邪魔するのもどうかなって思って下がったけど、やっぱりダメだよね! うん! トモ、そのお弁当は樋口にあげなよ!』

 わらわらわらわら。
 湧き出した邪魔者の数々に、幸福リミッターが急激に冷えていく。

 まあ、知ってはいるのだ。世界はそう甘くないのだと。
 だがしかし、期待してしまうのが男というものじゃないか。
 甘酸っぱい青春を求めてしまうのは多分、これも伝統の一種なのだ。


「でも……あいつらに見付かった時点でやっぱり無理か……って嵩月?」

 教室の入り口の二人を目にして硬直している嵩月に声をかける。
 すると嵩月は、操緒にも眼を向けて、そして僕と眼を合わせると。

 また、困ったように笑うのかと思ったのに。


 悪戯っぽく笑うと、僕の手を取って、一目散に出口へと駆けだした。


「たっ、嵩月!?」
「えっと……ごめんなさい」


 僕の悲鳴を抗議と受け取ったのか、謝りながらも反省は一つも浮かんでいない楽しそうな声色だった。
 嵩月家の悪魔として高い身体能力を誇る嵩月と。
 元・陸上部の僕の二人三脚に右に出る者はいるはずもなく。


 僕らは、まるでほんとに青春くさくて甘酸っぱい、逃避行を達成した。




「あの、夏目、くん。怒ってます、か?」
「あはは、怒ってないよ。怒ってない、けど」

 疲れたあああ、という一言は、恥ずかしいので心の中にしまう。

 結局二人で屋上まで逃げてきて、広い青空の下、これまた大きな風呂敷も広がって、その中身を惜しげもなく披露している。
 心躍る素敵な光景に胸を弾ませながら、けれどガクガクと震えている足はそんなことも言ってられない様子だ。

 体力に自信がないわけではないのだが、実際に走ってみると嵩月の速さについていくのがやっとだった、といえよう。
 彼女の能力の高さにやはり僕程度はついていけないか、と情けなくもあるが、右手に確かに残っている温かな手の感触が、嬉しくて照れ臭くてそれを誤魔化すのも必死だった。

「でもほんと助かったよ。腹ぺこだったからさ」

 受け取った割り箸をパキンと気持ちよい音で割って、感謝の気持ちを素直に伝える。

 偶然お弁当を作りすぎてしまったという嵩月の料理の出来映えは、相変わらず見事なものだった。朝から忙しい高校生の手作り弁当とは思えない美味しそうな料理が並んでいた。

 白いご飯に真っ赤な梅干し、王道ながら食欲をそそる色合いに。
 ふわふわの卵焼き、良い感じの焦げがついたウィンナー、コーンとグリンピースの入った蟹グラタン、新鮮な野菜サラダに輝く煮物などなど。
 食べやすく切り分けた林檎のフルーツまでおまけについているのだから、文句の一つだって出るわけもない。

「「いただきます」」

 と二人で声を合わせて合掌、多少気恥ずかしい気分になるが、空腹はもう誤魔化しようがない、がっついているようで何だが早速箸をお弁当に伸ばす。
 しかけ、しかし、ずずいっと目の前にシューマイ(これも手作りらしい。驚きだ)が差し出され、僕は動きを止めた。

 屋上には二人きりなわけで。
 僕の他には一人しかいないわけで。
 そして箸を手にするのも僕以外に一人しかいないのだから。

 それが誰かなんて、分かりきっていたけれど。


「え、っと……嵩月……?」
「夏目くん、そ、その」


 真剣な表情なのに。
 最後には真っ赤になって小首を傾げるものだから。






「…………、あ、あーん」




 僕にはもう、逆らう度胸も勇気も、なかった。







 
タイトルは「食べて、食べて!」という奏のキモチです^^勿論作りすぎ、ではないですよ。

久々に智奏書けて嬉しかった〜。設定的には読みにくくて非常に申し訳ないですが……;なんだ強化合宿って……。

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