盾になれ、など。
今更無理だと、知っていたくせに。
インフィニティ (愛と祈りが、ひとつにとけあう)
共犯者、共犯者と嘯いている間に、ここまで来てしまった。
寝台に、力なく座り込むその少年――ルルーシュ・ランペルージを見つけて、C.C.はじっと立ちつくした。
ルルーシュは何の反応も示さず、床を真実の鏡と勘違いでもしたかのように見つめ続けている。
菫色の瞳にぼんやりと浮上しているのは――不死鳥の紋様、ギアス。
ギアスを暴走させたルルーシュは表情を枯死させ、世界の終わりを見つめている。
C.C.はふと考える。
胸の内に去来するのは――止まっただれかと、進むひとびと。
C.C.にコードを引き渡し絶命した、一人のシスター。
ギアスに心を喰われ、愛の形を求めながら崩壊したマオ。
C.C.としての人生の始まりは、もう思い出せないほど錆び付いているようで、しかしあの時刻まれた胸の傷は今でも心に染みこんで離れない。
マオと一緒だ。C.C.は変わらぬ愛の形をさがしていた。無上の愛が欲しかった。だからこそのあの、愚かしいギアスがこの脳内に焼き付いているのだから。
けれどC.C.は、思い出す。
ユーフェミアは、自らの信念を貫きギアスと闘った。
シャーリーは、ルルーシュへの想いを支えに最後まで語り続け、笑った。
ロロは、自分と兄の存在を肯定し、冷酷な世界からルルーシュを守り抜いた。
C.C.は「死にたい」と、全否定しかできなかったのに。
誰かは「生きたい」と言って、「生かせたい」と言って、戦った。
だからこそ、C.C.は。
もう、二度と――
「……ルルーシュ」
返事はない。眼を開き、閉じる。
しんとした室内。重く苦しい、空気。貝のように白い壁に、C.C.の声が渡り、返って、響く。
「もう、充分じゃないのか?」
だからC.C.は、本音を言った。
最初から諦めていたから、簡単にギアスに心を引き渡したC.C.とは、ルルーシュは根本的に異なる性質を持っている。
力が欲しくて、けれど叶わなくて、探し続けて、残ったのは修羅の道だった。それだけの話。だがルルーシュは、流された結果その道を選択したわけではない。自らが望み、ギアスの力さえ引き込んで、戦っただけだ。
お前はよくやったと、正直な言葉を小さく呟いてから、ルルーシュの背後に回り、寝台に座る。その通り。ルルーシュはよくやったのだ。世界の誰にもできないことを成し遂げたのだ。
彼の目的は、マリアンヌの死の真相と、シャルルの真実を知ることだった。
その目的を叶えるためには、大きな犠牲が必要だった。
たったそれだけの話。しかし、世界には強大すぎた打撃。
ルルーシュが引き金を引き、錯誤する人々は、一つの意志の奔流となって彼に立ち向かう。
ルルーシュの行動に。たとえその行動に攻撃の意思が宿っていなくても、人は人の意思を勝手に汲み取る。攻撃の合図。防御の用意。
世界の昨日か、今日のために。
「おまえは今までナナリーのために――」
続くC.C.の言葉に答える声は、決して彼の本音ではないのだろう。
ナナリーは、冷たい世界で唯一のひかりとして射し込んだ、ルルーシュの護ってきたたからもの。
ルルーシュは低い声で、まるで自分に言い聞かせるように、声を絞り出す。
自分のたからものを特別視してはいけない。何故なら全ての人々にたからものは在るのだから。
今まで誰かのたからものを奪ってきた自分が、再び壊すことは、許されないのだと。
C.C.は弱々しく首を振る。壊してきたのは、自分も一緒だ。愛のギアスは、人の心を狂わせた。否、自分さえも狂わせ踊らせることしかできなかった。
少女のものと見違うほど細く華奢な肩に背中を預け、C.C.は眼を閉じる。
震える肩と、目が合ってしまいそうだったから。
人は儚いから愛おしいのだと、言葉を耳にしたことがある。
では儚いとは一体、どんな意味を表すのだろうか。そんなことを思う。
強く在れとルルーシュを痛めつけた世界は、一体何だったのだろう。
強くならなければと歯を食い縛ったルルーシュの視た世界は、何なのだろう。
何のためにルルーシュは、強くならなければならなかったのだろう?
――『僕は剣になる。だから』
――『君は盾になれ』
そんなルルーシュより弱い自分が、盾になんかなれるはずがない。どころかルルーシュは、剣は望んでも盾には首を振るだろうと、思う。スザクよりもずっと強く、罪を望み続けたのはきっと彼だから。
嘘をつくことで傷ついたのは、誰かの胸だけでなく、ルルーシュの心。
刺され続けた彼の心臓は、きっともうそろそろ、ぴくりとも動かなくなる。
共犯者、共犯者と嘯き続けたC.C.の言霊は、とうに効力を失って朽ち果てた。
何故ならば、C.C.は最初から、共犯者になろうなどと思ってもいなかったのだから。
C.C.の砂時計は、あの日崩れ去ったまま停止している。今を生きてゆく人々と、対等の関係になれることも、語り合うことさえできはしない。
愛を求めたC.C.の心は、あまりにも弱すぎて、あまりにも儚くて、空虚に放り出されてしまった。
「俺たちは止まるわけにはいかないんだ」
何度も聞こえた、心の中の叫び声が、新たに言葉として、痛みとして、吐き出される。
泣きそうなほど掠れた声なのに、ルルーシュは絶対に、泣いたりはしないのだろう。
それは、時間の止まったC.C.も、同じことで。
なのにそんな苦痛を受け入れて、「俺たちは」と歩調を合わせてくれる優しさが哀しくて、眼を細める。
ルルーシュの戦略はときに、人間的な甘さの隙を見せる。
だけれど本当は違う。彼は甘いどころか、何よりも優しいから。
C.C.だけでなく、誰も彼もを受け入れて。
受け入れ続けて、自分の心が壊れたって、そんなのは気にしないのだろう。
涙が出そうだった。出なかったけれど、泣き喚きそうだった。泣き喚かなかったけれど、歯を食い縛った。これがC.C.の掲げる、最後の十字架として。
ギアスは、願いの形だ。
愛されることを一方的に、孤独に、求めたC.C.。本当は、誰かの想いを貰いたくて。
愛のギアスは、朽ちてしまったけれど。今こんなにも穏やかなものを感じているから、構わないかと、思う。
ロロのギアスは、絶対静止。全てが厭だったから、せめて壊れる前に何かをとどめておきたかったのかもしれない。
でも、大丈夫だ。ルルーシュが、手を取って歩いてくれただろうから。
マリアンヌのギアスは、心の転移。世界の形を拒絶していた彼女の、逃げ場所のギアス。
でも、もうそんな必要はない。ルルーシュが創る、最後の砦ができるのだから。
ルルーシュのギアスは。
C.C.は、笑う。日溜まりのような温い微笑みがきっと、ルルーシュの道標となることを、彼女は知らない。
ルルーシュのギアスは、祈りのギアス。
変えたくて、変えるために、眼を開いて、前を向いて、変えてゆく。
声が聞こえる。
だからC.C.も、眼を開けよう。
共犯者にはなれなかったけれど。
盾にも、なれないに違いないけれど。
彼の背中を、その姿を、焼き付けるために。
俺たちは止まるわけにはいかない。
…………そうだろ、C.C.?
問いではない、確認の声が、C.C.の閉ざされた世界を満たす。
気高く微笑んで、背中だけでなく全身を寄り添わせ、手を、握る。
「……ああ」
世界の、明日のために。
「そうだな」
だからこそ、C.C.は。
もう、二度と。
もう二度と――「死にたい」なんて、言わない。