こっちを見て。
 こんなにも辛くて蹲っている。

 可哀想な僕を見て。
 こんなにも歯痒くて顔を歪めている。


 早く僕を、




願うのは罪ですか (気づいて。 / 嘘だよ。どうか見向きしないで)







 止まない。
 耳鳴りのように声が、止まない。

「だから、僕は……っそうだけど、でも。違うんだ、だってみんな心配する、し、……」

 唇は、こそり、と。
 時折高く細く、嘆くように。

「もっと、強くならなきゃ駄目だろ……こんなんじゃ、あいつらに、敵わない。わかってん、だろ、お前だって……」

 唇は、ぼそり、と。
 時折低く小さく、唸るように。

 ずっとずっと、止まない。
 荒げる呼吸も二の次に、会話だけが、続いていく。終わりのない線路を辿り。

「でも、だから、そうじゃなくて、こう言ってんだろ」

 ひ、ひ、と唇の端から洩れる息が、まるで血の色さえ滲むように痛々しい。
 雪一色の景色で柔らかく溶け込んでいた、不思議な色彩を持つ髪は、汗に濡れて肌にはりつき、どんよりと曇ったように落ち込んでいる。
 深く澄んだ緩やかな光を抱く瞳は、その面影さえ失くして、強さを求める獰猛な獣と、弱さに震える孤独な少年を交互に映しながら、それでも決して輝きに触れることはない。

 もう、忘れてしまったのだ。
 緩やかに微笑んでいられた時のことを。


 決して、記憶の海に流されるほど昔のことではないのに。
 どころか、たった昨日だと、振り返ることができるのに。
 おかしい。おかしい。異常だ。分かっている。分かっている、けれど。


 彼がいない。
 一緒に風になろうと誓った、あの逞しさが隣にいない。


 それだけで、こんなにも。
 揺れる自分が、愚かしくて。


「今度こそ、勝たないと、もう、居場所なんか」


 たった一つの出来事が。
 元々滅茶苦茶だった精神を、徐々に侵食して。

 怖ろしい。
 在り方を忘れてしまった自分が、何よりも怖ろしい。

「そんなことない、だって、だって、……テンは、」

 縋り付く。
 奔流に晒されながら、必死の力を込めて。



「キャプテンは、“吹雪が必要”だって、言ってくれたんだ…………」



 ぎゅっと、固く閉じた眼に。

 汗が入り込んで、涙のように幾筋も垂れた。
 嘔吐の前触れのように震えながら。その存在だけは、頭の片隅から離れなくて。

 笑顔が眩しかった。
 影のない笑顔が羨ましかった。
 サッカーを求める心の美しさに惹かれた。
 楽しむ無邪気な在りように心を打たれた。

 そんな風に。
 吹雪も、きっと、笑えていた時期があったのだと。
 思い出して、辛くなって、それでも何度も、見つめて。
 苦しくて。


 それでも、眼が離せない。



「違うだろ」



 こころが、悲鳴を上げる。
 その言葉を、拒絶を、否定を、断罪を、同じ口が吐くなどと。

 ああ、なんとつまらぬ妄執か。


「キャプテンが必要だって言ってるのは、お前でも俺でもない。“強さ”だぜ。
いなくなったエースの代わりになる、強さだ。俺自身じゃない」
「そんなこと、ないよ……」
「そんなことない? ハッ、本当はわかってんだろ? キャプテンのお前を見る目、あれは、お前自身なんかちっとも見ちゃいないんだって」


 やめて。
 動かないで。
 もう傷つけないで。

 二度と立てなくなってしまう、のに。


「誰でも良かったんだ」


 肯定など。
 したくないのに。認めてしまうのは。


「僕じゃなくても、良かったんだ……」


 本当に、そう、理解っているから、だ。
 あの日、一人で二人、二人で一人の魂がばらばらになってしまった日。
 もう、何もかもが、駄目なのだと知った。
 気づいてしまった。

 一人で生きるほど、強くないこと。
 一人で死ぬほど、強くないことも。

 永遠に未完成の、砕けた存在と成り果ててしまったこと。


 けれど。
 単なる戯れ言に過ぎないのだろうか。
 今でも、彼なら。
 彼ならと、願ってしまうのは。

「それでも僕は、俺は、僕は、俺、僕、は……」

 息が出来ない。
 顔を上げられない。
 一人じゃ、支えなくして、まともに立つことだってできなくて。
 何一つ、この世はうまくいかなくて。
 縫い止めてもらうための“強さ”は、こんなにも遠い。

「キャプテ、…………っ僕、俺、僕、俺、僕は、あ、あ、あ、たす、たすけ……ッ」
「吹雪……」




 ぴたり、と、世界が止まった。
 声が。声がしてしまった。怖れていたこと。
 彼が、この存在を、眼にしてしまうこと。
 半分が、半分。溶け合った光景を、見てしまうこと。


「吹雪、こんな時間だし……。疲れただろ? もう休んだ方が……」


 どんな顔を、させてしまっているか。簡単に予測できるのに、応えられない。
 不安そうな呼び声。窺うような気配。心配だと、どうしたのだと、問う優しさ。

 今なら、きっと今なら。
 声に出して、***を求められるのに。


「……何でもないよ、キャプテン」


 嘘つき。
 自分で自分を、罵倒する。

 言えないのだ。どうしたって。
 受け止めて貰えず、受け入れて貰えなかった瞬間を想像すると、震える自分は怖くて逃げ出した。
 たった一言を伝えれば、きっと親身になって、応じてくれるはずなのに。
 心の中で、ほら、こんなにも、叫んでいるのに。
 どうして。
 五月蠅い、よ。
 これ以上、もう、叫ばなくていいのに。




「そろそろ戻ろうか」




 お願い。お願いだから、どうか、

 早く僕を、



 僕たちを、










 た す け て 。






 

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