俺だけ首ったけ (つかず離れず、独占デッド)







「さ、むいっ……」

 外に出た途端に、冷気が身体を包み込んだ。
 ブルリ、と一度大きく震えて、後ろに母の見送る声を聞きながら玄関を飛び出す。「行ってきます!」声は大きく、けれど力ない。そんな自分を奮起させようとわざと勢いよく走り出すが、なけなしの忍耐は次第に抜け落ちていき、最終的には円堂は両手を擦り合わせながら肩を縮めて歩いていた。

「いつの間に冬になってるんだもんなあ……」

 暑い夏との間に挟むはずの秋は果たしてどこにいったやら、である。
 恨みがましくくしゃみをして、それから澱んだ灰色の空を見上げた円堂は、その体勢のせいですぐ目の前に立つ人物に全く気づいていなかった。
 不注意にぶつかり、慌てて顔を上げて「すみませんっ」と謝罪した時には、人物に気付き瞬きをする。

「……南雲?」

 やれやれ、という風に溜息をついた南雲晴矢は、おう、と短く頷く。

「相変わらずだな円堂。あぶねえから周りには注意しろよな」
「うんっごめんな。おはよう南雲」

 南雲は幼稚園の頃からずっと一緒に過ごしてきた、円堂にとっては幼なじみのような存在である。
 家もすぐ近くなので、以前はよくこうして待ち合わせて学校に行ったものだが、朝から南雲に会うのは久しぶりのことだった。

「今日は朝練、ないのかよ?」
「? うん。グラウンド整備中で使えないから」

 サッカー部の円堂は帰宅部の南雲と、そうそう一緒には行動しにくいからだ。
 けれど偶然登校時間が重なったらしく、ちょっとした幸運を招いている。何も言わずさっさと歩き出した南雲の後を慌てて追いかけながら、寒さで固まった円堂の表情は少しだけ綻んだ。

 足の長さに比例して歩く速度の速い南雲の後を、小走りに追いかけながら、円堂は彼の後ろ姿をじっと見上げた。
 ついこの間まで同じくらいの身長だったというのに、今はもう南雲の方が十センチ以上背が高い。その現実がどうにも認められず、軽く不機嫌に唸っていると、「どうした」とすぐ異変に気づいたらしい南雲が立ち止まって声をかけてきた。
 目の前の信号が赤だからついでに、かもしれないが、それでも嬉しいのに変わりはない。

「んー……南雲、今何センチ?」
「そんなん覚えてねえけど……前身長測定で測った時は、165はあったな」
「ほんとに中学生?」
「そんなに珍しくもねえだろ。お前がちっちゃいだけで」

 ちっちゃい言うな! とムキになって怒る円堂に、悪びれもなさそうに南雲は笑う。
 どころか、にやにやと、寧ろ円堂の神経を逆撫でしたがっている様子でもあった。

「ちっちゃいちっちゃい。これでサッカー部のキャプテンってんだから驚きだな」
「サッカーに身長は関係ないぞ!」
「分かってるって。まあ、でかくなったら円堂じゃないし」

 なんだそれ、とわなわなと震える唇を、また、微笑う。
 けれど次は、本当に嬉しそうな笑顔であったから、言い返すこともできず、円堂は口を噤むほかない。
 露わになっている首筋が、冷気に撫でられて張り詰めていた。

「……南雲もサッカー部、入ってくれたらいいのに」
「それは勘弁だね」
「なんで」
「いわねえ」
「いつもそうだな」
「言いたくないからいいんだよ」

 そっか、と軽い納得など、勿論できるわけもなく。
 何度も遣り取りして、飽きさえ来そうな会話の応酬を、ふたり繰り返す。

「何が気に入らないんだ?」
「そんなんじゃねえよ」
「楽しいよ」
「お前の顔見てりゃ分かる」
「俺もいるじゃん」
「……まあな」
「だめ?」

 小さな頃は、外が暗くなるまでサッカーに明け暮れた。
 ボールを追いかけて、蹴り上げて、走り合って、笑い合う。そんな毎日はきらきらと宝石のように輝いていて。

 けれど南雲はいつからか、円堂とサッカーをしなくなった。
 部活も暗黙の了解のようなもので、サッカー部に入ると決めていたというのに、帰宅部に入って、グラウンドでは姿を見かけることさえない。
 同じ部活の仲間たちとサッカーをするのは勿論楽しいけれど、それでも、グラウンドに見知った赤いシルエットがないのは何だかとても不思議な気分で、それはちっとも心地よくはなかった。

 南雲がいないサッカーを、未だに円堂は心から楽しめない。

「上目遣いすんな。ブス」
「ひどっ」
「嘘だバーカ」
「んなッ……ん? あれ?」
「早く行くぞ」

 信号が青になって、また南雲は歩き出してしまう。
 置いて行かれないようにと走り出して、あ、と気づく。

 南雲の頬が赤くなっていた。
 後ろからでも、よく、見える変化。

「なぐもっ」
「……なんだよ?」
「寒いんだったら、これ、貸してやるよっ」

 手元から危なげない動作で取り出したのは、雷門中のジャージだ。
 早歩きの南雲に追いつき、手渡そうとした時は、それをぐいと、押し返されていた。
 首を傾げて、更に差し出す。
 そしてまた、ぐい、と。

「遠慮すんなって。いいからさ」
「るせー。いらんこんなモノ」
「なんてこと言うんだ! 大切なジャージなんだぞ!」

 確かに汗くさいかもしれないけど、と続けようとした、その瞬間に、


「それなら尚更嫌だ」


 とより頑固な拒絶にあって、不安げに、円堂は弱く瞳を揺らした。

 罪悪感に刺されたように表情を歪めた南雲だったが、結局ジャージを円堂の手の中に落として、先に行ってしまう。
 追いかけようとして、けれど家から出てきた直後のように、寒さに震えて円堂は身動きがとれなくなってしまう。

「…………」

 このまま。
 幼なじみに捨てられて、自分は暗い気持ちを抱えて過ごすのだろうか。

 このまま。
 幼なじみはもう二度と、サッカーしてくれないのだろうか?

「なぐも……」

 気弱な声は、胸に穴を空けるように辛く、痛い。




「…………あまりにも苛ついた」


 顔を上げると、すぐ目の前に南雲がいた。
「わ」と驚いて、身を引こうとすると、無理矢理引き寄せられて、手を握られる。

 困惑を乗せて連れて行かれる円堂と、ただ引っ張る南雲。
 怒られるのかと、その表情の厳しさに俯いてしまう円堂の意識を引き上げるように、南雲は続ける。

「お前の、鈍感さに、あまりにも、苛ついた」

 何故か一節ごと区切りながら、寒さお構いなしのはっきりと凛々しい声で言ってのける。
 責めている色があったから、また怖くなってしまうが、握った手の温かさは正真正銘幼なじみのもので、だから強く握り返す。

「仕方ないから言ってやるよ。気づくまで言わないって決めてたのによ。
何年耐えたと思ってんだ。人の苦労を水の泡にしやがって」
「……なに、を?」




「身長でかくなれば男として意識されんだろ」
「……」
「サッカー部入ったら大多数の一人に成り下がるだろ」
「……?」
「俺より大切なモノなんか見せつけられたくないだろ」
「……、」
「だからつまり、」




 好きだって言ってんだろ。



「…………ほえ?」



 握った手と、






 頬がばかみたいに、熱かった。







 
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