ぐい、ぐいと、何度も髪を引っ張られる。
 既に落とされたバンダナは、肩とシーツの間に挟まって潰れてしまっている。ああ、また干しておかないとと横目でそれを確認するが、そんな余裕が存在していないのもまた事実だった。
 腰に響く鈍痛さえも押し殺すように、強い力を加えられて。
 ぐえっとまるで潰れた蛙の悲鳴を上げる。けれどのし掛かる彼はびくともせず、ちっとも気にかける様子もなかった。



 ああ、なんて冷たい。
 それが哀しくて嬉しい、末期症状。



「……なんで泣いてる?」

 囁かれた声は、艶を帯びて。

「泣いてなんか、ない」

 返す声は、弱々しく掠れていた。

「なんで笑ってる?」

 また、囁く声は疑問形なのに凍りついて。

「どっち、だよ」

 返す声も、苦しげに呻いていた。



 こころがうつろに沈んでる。



君に背く (見抜くというなら、貫く覚悟をどうぞ宜しく)




「円堂さん……大丈夫ですかね」

 不安げな表情で誰にともなく呟いたのは、円堂を慕う少年・立向居だった。
 本来ならばすぐにでも、敬愛する円堂の具合を確かめたいだろうに、それを彼が我慢しているのは、単純にイナズマジャパンの誰もがまた同じ苦悩を抱いているからに他ならない。

「俺達が杞憂しても仕方のないことだ。練習に戻ろう」

 すぐにチームを立て直そうと発言するのは、司令塔の鬼道だ。
 それに続くのは、問題児ながら確実に真理を突いてくる不動である。

「ま、鬼道ちゃんの言うとおりだわな。キャプテンだって、俺達がこんな状態じゃまともに休養だってとれねえだろ。そう言うヤツだしよ」

 無言に頷くのは、エースの豪炎寺。

「……そうですね。キャプテンに心配されちゃ、元も子もないですよ」

 虎丸も倣うが、笑顔はぎこちない。




 円堂が練習中に倒れた。
 ゴールキーパーとしてヒロトや吹雪のボールを交替に受けていた円堂は、特に変わったところはなかったし、普段通りに見えた。
 けれど昼休み前に、何の前触れもなく突然倒れてしまい、今こうしてイナズマジャパンのメンバーは静かめながら不安を抑えきれず、こうして話し合いの場を設けている。


「おまえたち。何をしている、早く練習に戻れ」
「久遠監督」

 宿舎から出てきた監督と、それに続くマネージャー三人組。
 彼らが歩いてくる間も惜しいという切実な顔をして、近づいてくる教え子たちに、けれど久遠の表情は硬い。

「円堂は問題ない。練習を再開しろ」
「ほ、本当に……大丈夫なんですか?」

 困惑に瞳を揺らす立向居に、けれど久遠もまた、何か困っているような気配を密かに宿している。
 鋭敏な観察眼で察した鬼道は、彼を見上げ、訝しげに声を上げる。

「監督……? どうかしたんですか?」

 視線が一気に集まる中、久遠はどこか言葉を選ぶようにして、その渋面を動かした。


「安心しろ。特に問題はない。
ただ……。

風丸と二人きりにしてほしいと、円堂から言われてな……」




 倒れた円堂に一番早く駆け寄ったのは風丸だった。
 幼なじみとして、また、それ以上の感情を望む相手として――円堂のことを誰より気に掛けていたし、時折目を配って、注意を怠ることはなかった。
 それでも、彼の異常に気づくのが、当の本人が音を上げてからだったということに。
 どうしても風丸は、衝撃を覚えずにはいられなかった。


「円堂。落ち着いてきたか?」
「…………うん……」

 頷く声には、普段の一分の覇気もない。

 保健室に寝かされた円堂の姿は、風丸にとって、痛々しいことこの上ない。


 傷みきった髪質も。
 充血した澱んだ瞳も。
 瞼の下を這いずる隈も。
 血の滲む乾いた唇も。
 身体中の擦り傷も。
 所々の絆創膏も。


 とても、毎日サッカーをして笑っている明るい少年のものとは思えず、ぐっと歯を噛みしめて、そんな円堂の様子に、震えを堪える。
 決して、これが、サッカーの特訓に明け暮れて徹夜を繰り返した結果。とは、思えない。
 どうしたって、こんなにまで、なるわけがないのだ。

「お前、何かあったのか……? 練習中に倒れて、それに」
「ん……。汚い、よな。ごめん、俺、風呂も入ってないし」

 ベッドの横に備えられたパイプ椅子から身を乗り出して。
 薬品のにおいを嗅ぎながら、そっと円堂の頬に手を添える。

「汚いなんて、思うわけないだろ。俺がお前にそんな感情を抱くなんて、ありえない」
「……どうかな」
「っ」
「なんでもない」
「…………」

 何が。

 何をここまで、円堂を追い詰めているのだ。

「どうしたんだよ、円堂。俺に相談できることなら言ってくれ。頼むから」
「悩み事なんて、ないから。へいき。ごめんな、なんでもないんだって」

 何が。

 何をここまで、風丸を拒めているのだ。


 思わず、笑ってしまう。



「お前いつも、嘘つくときは俺の眼見ないよな」



 弾かれたように目線を上げた円堂と、はっきりと、交差する。

 これが、この色が、イツワリの何よりの証拠と。
 円堂は知らないけど、俺だけは理解しているのだ。

「心配なんだよ。不安なんだよ。
お前に何かあったら俺は平静じゃいられない。
お前が笑ってないと幸せになれない。
だから何でも言って欲しい。本当のことを教えて欲しい。
じゃないと気づけないんだ。俺は馬鹿だから」

 口早に告げた言葉は、確かに触れたようだった。
 円堂の表情が微かに、ぎこちなくだが動き、希望に縋るように眼が見開かれる。


「頼むよ。円堂…………」


 どうか少しでいいから近づいて、と。



 願って、それから、だった。



 円堂の顔が、横を向く。
 頬に触れていた風丸の手が、宙に浮く。

 その、瞬間を狙ったかのように。




 べ ろ り。




「ッ! な」
「……」


 無言、で。
 円堂は風丸の中指を、舐めた。


 咄嗟に引こうとしたのに、
 あまりに冷たい舌の温度に、身動きがとれなくなる。


「えん、どう?」
「……へんなの」

 唾液のからみつきも。

「同じなのに。はずなのに」

 音を立てるいやらしさも。

「ぜんぜん、違う味がする」


 何一つだって、存在しない。
 それは、愛撫でも、抱擁でもなく、



 むしろ、確認作業でしかない。



 ……同じって。
 誰と、だよ。
 ぜんぜん違うって。
 誰と。

 誰とおまえは、比べているの?



 押し倒す。


 胸の高鳴りなど、どこにも見当たらない。
 あるのは、そう、背徳感と、絶望的な嫉妬心だけだ。


「誰と、比べた?」
「……かぜまる」
「真面目に答えろよ」
「ほんとうだ」
「嘘つき」
「嘘じゃない」

 本当を知りたいって言ったのはお前だ。
 そう責める円堂の眼は、不思議と熱を帯びていた。
 誰よりも、本人よりも、円堂のことを理解していると思っていたのに、知らない色をしていた。


 そうか。
 こいつ、もう、ああ、そうなのかと、ようやく悟る。


「知らないうちに、そうだったのか」
「うん」
「誰と、だよ」
「もう言わない。内緒だから」
「……っいい加減に」


「言ったって信じてくれないんだろ!!」


 感情の爆発は。
 試合最中の激励や叱咤とは、全く、違う。

 泣きそうなほど苦しげな、絶叫で、悲鳴だった。


「お前は、俺を、信じてない! これっぽっちも!!
言ったのに、言ったのに、言ったのに、嘘だって、ふざけてるって、そんなの、
そんなのってない! 本当だって言ってるのに!! 俺は、おまえを、」


 おまえを、――。
 ――だったから、口にしたと、いうのに。

「も、う……」

 風丸の腕の下で。
 円堂は、涙をぼろぼろと流して、泣いていた。

「もう、二度と、言わない……から、だから、やだ」
「っ、円堂、俺は」
「やだ。何も、何も、聞きたくない。訊いて欲しくない」

 艶に濡れた、淫乱な声と、唇と、表情。
 顔も知らぬ誰かの、情欲をきっと、掻き立てた。


 それがすぐ真下にあったから、とりあえず、口をつけてしまった。


「最悪な気分だ」
「キスしといて、何勝手なことを」
「お前のそういう表情、初めて見るのも作るのも、俺だったはずなのに」
「……風丸だったよ」


 沈黙を返す他、選択肢はなく。
 くすくすと、他意なく声を上げる円堂は、




「お前が俺を、こうした」




 左右不均等に、笑って泣いていた。




 同じ海に浸かっている。
 同じ宇宙に浮かんでいる。

 同じ地球に並んでいる。
 同じ時間を、過ごしている。


「まるで奇跡。まるで軌跡。まるで奇蹟。まるで輝石」
「……、」
「まるで、奇跡でしかなく軌跡でしかなく奇蹟でしかなく輝石でしかない。
お前と俺が今こうして同じベッドに寝ころんでいる現実は、そんな陳腐で素晴らしい表現でしか言い表すことができないほどに高尚で大概な愚行だ」
「そうか」
「そうだ。円堂、俺の、俺だけの円堂がいるだなんて」
「……そうか」
「そうだ。円堂、お前は、お前は俺だけのモノなんだから」
「そう、だったんだ」
「ああ。嬉しいだろ? 哀しいだろ? 辛いだろ? 面白いだろ? 憎いだろ?」
「……もう、よく理解んない」
「っはは。俺もだ。俺も全然理解らない。理解も想像も範疇を超えてしまった。はは。
まあ、ナンデモアリだろ、こんな世界なんだから」

 なんでも。

 なんでも許容できるほど、甘い人生じゃなかったというのに。


「俺はお前を奪った」
「うん、盗られた」
「きっと俺はそう怒り狂うだろうな」
「……どうだか」
「お前が考えているより、俺はずっとお前のことを愛しているから」

 あてにならねー。

「ありがとうな円堂、お前を、俺にくれて」
「その笑顔が、最悪な卑怯だって気づけ」
「無理だ。作戦の内だから。
……だから、また、俺はお前を奪いに来る」

 深く遠慮したい。
 一方的な恋慕というのは、どうしてこうにも身勝手に言うのだ。

「その時もしも、俺の前に俺が立ち塞がったらば、きっと諦めるよ。それか大人しく殺される」
「お前にとって俺は、その程度でしかないんだ」
「うん。襲いかかってきた俺を返り討ちに殺す、くらいの存在でしかないな。円堂なんて」
「やめろよ」
「久々にそんな声聞いたな」
「風丸に何かしたら許さない」
「俺もそうなのに?」
「お前もそうだよ」
「……変なこと言うんだな」
「どうしようもないから、どうしようもない」

 よっこい、と身体を起こした彼は。
 長い髪を揺らして、垂らして。不敵に微笑んだ。

「求めればいいのに。SOS」
「…………」
「きっと俺は応えるよ?」

 そうだね。
 風丸、助けてって。

 こんなにも叫びたい。
 こんなにも伝えたい、のに。


「……むり、だよ」


 ああ、こうやって。
 笑って泣いて、君に背く道しか選べない。






「だってお前も、風丸だもん」






 左右不均等の俺は。



 左右均等の二人に、こうして背を向けるのだ。










 
 たいへん俺得設定で申し訳ないです;

 分かりにくい説明をしておきますと、スーパーリンクによりDE風丸さんと風丸さんが普通に共存している世界のお話のつもりです。ただ、風丸さんの方はスーパーリンクのことを知らなくて、DEさんがこちらに来ているなんて思ってもいないし……という。


 ちなみにキャプテンはどちらも大切な幼なじみと思っているので、どっちかを選ぶことができません。というノイローゼ状態です。
 

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