シグナル (小さな声で、俺にだけきこえるように)







「……………………う、ぐっ」

 嗚咽、だった。
 頑なに引き結んだ唇から、耐えきれずに零れた弱さが、紛れもない小さな嗚咽となって世界を止め処なく揺らしている。
 それでも、どうか誰にも聞こえないようにと、血の涙を溢れさせながら縛られた唇があまりに痛々しく、そして何よりも愛おしい。

 円堂守は、綺麗な少年だ。
 初対面の時はそんなこと一つも思っていなかったのに、今は何の迷いも躊躇いもなくそう感じる。

 それは彼に対して当初鬼道が、人間としての興味や関心を一切抱いていなかったから、それもあるし――円堂自身の魅力がまだ芽生え始めの頃だったから、なのだろうか。
 傷つけることに、容赦などない。
 吹き飛んだ小さな身体に、嘲笑を降り注いだ。
 最低な人生。サッカーそのものを侮辱した最悪のプレイの数々。全てが、未だ鮮明な記憶として脳に、肌に、神経に刻まれ、今の鬼道を苛む鎖となってこの身を縛る。
 けれど、円堂はそんな鬼道を。

『サッカーやろうぜっ!』

 温かな笑顔で、照らして。

 決して責め苛んだりはしなかった。決して同じ目に遭わせようとはしなかった。
 決して、鬼道を、否定したりはしなかった。
 まるでそれは、過去と今と、未来の鬼道を、守るように。


「う、あ、あ…………ッッ!!」


 そんな、強い少年が。
 膝を抱えこみ肩を揺らし、うまくできない呼吸に喘ぎ双眸を涙に揺らしているなどと、鬼道以外の誰が知るだろうか。
 そんな姿を見る権利を、一体、鬼道以外の誰が、円堂から与えられることが許されるのだろうか。

 円堂の隣は、心が安らぐ。
 円堂の傍は、あまりに優しい。
 その綺麗な笑顔は、明るくチームを励ますものだが、いつしか――鬼道にとっては、かけがえのない大切な、何よりも大事な存在の象徴となっていたのだ。

 けれど。

「ご……えんじ……ッ!」

 この、震え今にも消えてしまいそうな、声。

「ごう……えんじいいい……っ」

 温もりを知らぬ子供が母を呼ぶような、頼りない声の。

 なんとか弱く、卑小なことか。


「円堂」

 呼べば、跳ね上がる肩。くぐもった悲鳴のようにも、聞こえた。
 けれど顔を浮かせはしない。泣き顔を見られたくないと思ったのだろう。膝下に隠れていた左腕が、俊足の速さで動いたと思うと、水滴にまみれた頬を気遣う素振りもなく無理矢理に拭う――

「やめろ!」

 突然の大声に大きく反応した円堂はびくん、と震え上がる。鬼道はいてもたってもいられなくなり、円堂の左腕を取った。
 反射的な拒絶でそれが暴れるのを力強く片腕で抑えつけ、鬼道はもう片方を円堂の右腕に向かわせる。

「ひッ」

 怖れを潜ませた、短い悲鳴。瞳を見られぬようにと覆っていた腕をも奪う。さすがというべきか凶悪な力で対抗してきたが、のし掛かった鬼道には叶う術もなく、円堂の双眸を隠す両腕は為す術もなく取り払われてしまう。
 呆然自失、という表現が相応しい、虚空を浮かべた円堂と、真剣にそれを見つめる鬼道。暫くの静寂が部屋に満ちたが、ハッとした円堂は顔を背けた。

「み、見るな……っ」「いやだ」「見るなって、言ってる!」「いやだ」

 なんで、と弱く問う声のどこにも、強さの欠片など秘められていない。
 あるのは、ただ泣き顔を見られた羞恥と、その相手が鬼道だという、落胆と失望か。

 真っ赤に泣き腫らした両眼。
 普段から元気な声と共に放たれる大きな瞳の光は、今や紅の熱を帯びて痛々しく揺らいでいる。そして触れたら発火しそうな、危うくも妖しい色の炎が燃えているのは鬼道の気のせいではないだろう。
 快活なイメージを結んでいた緩い頬は、食事もすぐに吐き出すためか以前より痩せ細っている。唇は紫に染まり戦慄き、端から血がこぼれ落ちていた。

 鬼道は、今一瞬でも目を離したら、この少年が憔悴して消失してしまう気がした。
 同時に、真上から見下ろす円堂はやはり綺麗で、何よりも艶っぽい。その事実が急激に感覚を麻痺させ、快楽の波へと誘う。

 頬に噛みついた。

「な、なにす」暴れる両腕を後ろに回し、羽交い締めにする。本気の力で抵抗されては叶わないから、力を抜かせるために舌の感触を頬に落とした。
 べろり、と舐め上げる感触に、円堂が凍りついて硬直した。「……っ」責めるような眼で睨まれ、しかし鬼道は謝罪はなしに真っ直ぐに見つめ返すだけだった。

 ずっと彼だけを見ていて。
 ずっと彼だけを想っていたから。
 例えそれが望まれていない感情だとしても。
 円堂がそれを受け入れないとしても。それでも。

「仮にもチームのキャプテンが、一人のエースストライカーがいなくなっただけでそこまで調子を崩してどうする」
「…………!」

 叱責に、顔を強張らせる、その少年を、愛おしく思うは真実。
 けれど明かしてしまえば、また苦しめる種となることは事実。

「いずれ取り戻すんだろうが。なら今そこまで傷つく必要はあるか」
「……んなの……分かってる、けど」

 知っている。チームを去ったのが豪炎寺でなければ、円堂はここまで追い詰められなかった。
 豪炎寺だからこそ、あのいつも力強く振る舞う少年が、鬼道に組み敷かれ唇を噛んで俯いている。弱さを全て、さらけ出した状態で。
 それだけはせめてもの、救いかもしれない。
 きっと、この胸の奥底で叫び続ける声だけは、この状態の円堂ならば聞かれずに済む。


「泣くのを我慢するな」
「っ」

 弾かれたように顔を上げる、上げて、見つめて、見つめ合って、
 止まらない、のに。

「ただ、俺の前で泣け。一人で泣くな。それは、自分を追い詰める」
「き……どう」

 ようやく呼んでくれたのに、
 満たされない。掬われない。晴らせない。高鳴る心臓が痛くてたまらない。
 下にある身体に触れれば満たされるのか。唇を奪えば掬われるのか。髪を梳かせば晴らせるのか。蹂躙すれば、血を噴き上げる心臓は止んでくれるのか。

 分からない。
 それに答えは、どこにもないから。


「豪炎寺でなくて悪いが」


 本当のことを、君に伝える。
 ありのままの気持ちを、悟られぬように、まるで大したことではないという素振りで、軽く口にする。
 それがせめてもの、君への手向けとなれば良い。


「俺ならいつでも、傍にいる」


 好きだ。







 
ブログに掲載したものに加筆修正したもの。
二期の豪炎寺離脱後妄想話。片想い鬼道さん大好きです。

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