明日が最後。



 馴れ合いのまま、約束も連絡もなしで会える、最後の日。



 それを。
 ずっとずっと、感じていて。

 それが。
 ずっとずっと、怖かった。



 だから、俺は思わず言ったのだ。






「円堂のことが好きなんだ。俺と付き合ってくれないか」






 幼なじみに、そう、伝えたのだ。
 それが、本当に最後だと、知らないで。






ウサアネエ (嘘だけじゃ渡れない橋もある。私も1人じゃ、歩けない)





 最後の日、だ。

「風丸先輩、カットの練習付き合ってもらってもいいですか?」
「ああ、構わない」

 これが、この雷門中学サッカー部の。

「うわわ、凄い方向に……!」
「ごめん余所見してた! 悪い、取ってくる!」

 俺達の、最後の、









 何で空は青いんだっけ。



 この問いに科学的な解明はされど、俺はさしてそんな賢さに興味がなかったりする。
 別に、青いなら青いでいいじゃないか。海だって青い。人間が二本足で歩く生き物になったように。河を橋で渡る技術を手に入れたように。

 そんなことは成るようになる。今それがその形であるならば、ただ受け入れればいいのだ。律儀に解き明かして境界線を超えたって、発展も衰退もままならぬ。


 そして、恋愛だって。
 青いなら青いで、良かったのだ。それで。
 想いが伝わらなくても、良かったのだ。俺は。

 ただ傍に、いられるなら。




「景気の悪い顔だな、風丸」
「……あー、鬼道……」

 前方から歩いてきた人物を仰ぎ、風丸は吐息のような声で返す。
 この季節独特の、強いのにやたら肌を刺す風に遊ばれた前髪の間、いつものゴーグルとマント、それに腕組みと仏頂面を身に付けた鬼道が立っていた。



 後輩に練習相手を任された俺だったが、全く身が入らず、校庭から少し離れた体育館の前に座っていた。
 どうやって嗅ぎつけてきたのか、何かと鋭い面を発揮する鬼道は、俺の様子に気づいていたのだろう。もしかしたら追いかけてきたのだろうか。やれやれと肩を竦めると、土埃を払ってから俺の隣に腰掛ける。特に拒むわけもない。道化にされたいわけでもないが、こんな時に一人でいたいなどと吐くほど俺も愚かではなかった。

「どうかしたのか、今日は大切な日だろう」
「ん……分かっては、いる」

 段差の下に垂らした両足を、ぶらぶらと子どものように揺らす。
 ああ、そうだ昔も……よくこうやって、防波堤の上に並んで座って、夕焼けを見つめていたっけ。懐かしさの残滓と、後悔の苦さが視界の端を掠めた。
 途端、やるせない気持ちが込み上げて、思わず唇から漏れる。

「長かったな……二年間」
「…………そうか」

 そうだな、と頷かれる。うん。そう。
 長かった、のだ。ここまで辿り着くのに。

 俺は体育館の屋根に遮られた日光を浴びて。
 ゆっくりと眼を閉じて。
 振り返って、その記憶の扉を、開けていく。
 始まりを、えがく。

「俺はさ……、元々、陸上部だったから」
「ああ」
「本当はずっと、陸上やってたんだと思うんだ。高校ではやめてたかもしれないけど、走るのは好きだし、続いてる未来もあったかもしれない」
「……そうか」
「でもさ」

 そんなとき。
 昔なじみが、声をかけてきたのだ。

 変わらない無邪気な笑顔で、俺を呼んだ。
 一緒にサッカーやろう、と。

「最初は断ったんだ。それでも、あいつの姿見てるとさ、サッカーも悪くないんじゃないかって思えてきた。あいつと同じフィールドに立って、風を感じて、ボールを蹴る想像した」


 悪くない、どころか。
 むしろずっと、ずっと、




「……すごく、惹かれたんだよ」




 円堂はいつも、楽しそうに笑うから。
 その先に、もう一度、

 自分の影を、えがいてしまうのだって、仕方がなくって。


「俺も、同じだ」
「え…………」
「俺もあいつに……あいつのサッカーに惹かれて、ここまで来た。なあ風丸、お前」

 鬼道の言葉に。
 どくり、と、騒ぐ。

「お前円堂に」
「……ああ、そうだよ」

 頷いて。
 笑おうとして、泣きそうなくらい顔が歪んだ。
 不格好に、軋んだ。




「……円堂にフラれたよ。俺」




「円堂のことが好きなんだ」


 時が、止まったかと思った。


 口から、まるで、火花が落ちたみたいだった。顔が、身体が、一気に熱くなって、視界がぐらぐら揺れて、赤く染まって、この身を焼かれているような、激動に揺さぶられた。
 そして少しだけ、吐き気がした。円堂が視界にいなかったら、このまましゃがんで、盛大に嘔吐して、気持ちよくなりたかった。それくらい追い詰められていた。


 誰かに告白するなんて、初めてのことだったから。


「俺と付き合ってくれないか」

 間髪入れず続けた言葉も、想定外のものだった。
 バカか、男同士だろ、想いを伝えるだけ出来れば十全だと考えていたのに、いや、そもそも伝えてどうするのだ、気持ち悪いと引かれて距離を置かれてそれきりになるのが見えているじゃないか。

 もう、学校でだって、会えないというのに。

「……、」
「え?」

 その時、円堂の口元が小さく動いた。
 それから、何かを我慢するように引き絞って、漏れたのは、

「……はは……」
「……えんどう?」


「あはははっ!」


 笑い声、だった。

 それからまた、さっき止まったばかりの俺の心臓は、停止することとなる。



「あー、びっくりした! もう、冗談やめろよ、風丸!」
「…………」
「エイプリルフールだからってさ! はは、はは」
「…………」
「……俺、行くから。一緒に帰るのは、また今度、な。じゃ」



 ああ、そっか。
 そういえば今日は四月一日、エイプリルフールだった、とか。

 ああ、そっか。
 そりゃ円堂に勘違いもされるわ、俺は馬鹿なのか、とか。

 ああ、そっか。
 本気にされるわけもないのだ、今日が四月一日じゃなくたって、とか。

 暗いループがぐるぐるぐるぐる。
 眼が回って、思考が回って、このままひっくり返ってしまいたい。



 胃液を吐くことはなかったが、意識は確かに無我夢中にゲロっていた。
 俺のこころは、確かに死んでいた。




「……それだけのことだよ。告って、フラれて、俺の初恋は終わった」
「…………」
「……一緒に世界まで行ったのにな」

 世界の果てより遠くに。
 君を感じる、この現実が憎い。

 あんなに一緒に、いたのに。
 学校が変われば、簡単に遠くなる君が憎い。



「呆気ない終わりだな」



 しばらくは、何を言われたのか理解できなかった。

 顔を上げると、隣に座っていた鬼道はいつの間にか、目の前に風丸を見下ろして立ち尽くしている。
 ゴーグルの奥の瞳が、侮蔑するように細められている。気がした。

「長年恋慕して、その程度か。お前の想いの丈なんて」
「……ッそんなこと、言われる筋合いはない」
「あるさ」
「なんで」
「俺は一昨日円堂にフラれたんだ」
「――は」

 それは、お前、……え?


 は?


「な、んだって?」
「ちなみに俺が知る限りだが、ライオコット島を出てくる時にも円堂はフィディオに呼び出しされていただろう。あれもどうやら告白を断ったらしい」
「そういえば、って……ええ?」
「頬に怪我をしていたのは、その前にロココに引っかかれたんだと。そっちもフッたらしいな。帰国してからも円堂への告白ラッシュで、俺の知らない他の情報もあるだろう」
「!? ほ、ほか……」

「でも、ひとつだけ分かる」

 鋭利に、冷酷に。
 鬼道は円堂を語る。
 空が青いように。海が青いように。
 鋭利に、冷酷に。
 厳然たる事実だけを、語る。

「そのどんな時だって、誰が相手だって、いつもいつも円堂は眉を顰めて、唇を噛みしめて、申し訳なさそうに頭を下げて、言う。ごめん、ごめんなって」
「っちょ、ちょっと待ってくれ、頭が追いつかな」
「嘘をつくな、風丸」

 喉元に。
 白い刃を突きつけられるのと同じくらい、張り詰め抑えられた、低い声。

 鬼道の怒りと悔しさを、塗り固めた、声。


「お前だけなんだ」


 こんなにも苦しげに。
 呻き声を、上げて。悲鳴を、押し殺して。
 涙を、耐えて鬼道は、俺から眼を逸らさずにいた。
 親の仇を見るような、容赦のない眼光で貫く。


「お前のことだけ、円堂は、嘘だと誤解して、笑ったんだ」


 他人の気持ちを。
 誰よりも汲む、あの円堂が。

 告白ばかり受けて。
 そのどれにも断ってきた円堂が。

 エイプリルフール程度で、他人の気持ちを誤って取ることなんて。


「その意味、考えなくたって分かるだろう」


 最後の日、なのだ。
 俺にとっても、鬼道にとっても、円堂が好きなみんなにとっても。
 円堂に、とっても。

 今日で、会えなくなるかも、しれない。
 だからそう、今しかないって、思った。



 今、唇をひらけ。



「鬼道ッ!」
「……なんだ?」

 練習に戻りかけた背中に、問う。




「何で空は、青いんだっけ!」




 この問いに科学的な解明はされど、俺はさしてそんな賢さに興味がなかったりする。
 別に、青いなら青いでいいじゃないか。海だって青い。人間が二本足で歩く生き物になったように。河を橋で渡る技術を手に入れたように。

 そんなことは成るようになる。今それがその形であるならば、ただ受け入れればいいのだ。律儀に解き明かして境界線を超えたって、発展も衰退もままならぬ。


 そして、恋愛だって。
 良いだろ別に、青いなら青いで。それで。
 想いを伝えたって、良いだろ。俺は。

 ただ傍に、いたいんだ。


「……そんなこと」

 鬼道が笑った。多分これは、本当に。

「俺に聞かなくても、お前なら理解ってるだろう」

 頷く。
 ……うん。

 今なら、




「一緒に帰らないか」

 呼びかけは、実は。
 昨日の告白よりも、勇気が要った。

「……え」

 予想外だったのだろう、円堂が大きな瞳を更に見開いて、困惑したように揺らす。
 昔からずっと隣にいたのだが、今でも俺にとって、円堂は目に入れても痛くないくらい好きで好きで好きで仕方のない存在だったりする。る。
 臆病なくせに、恋のラインは随分前に突破したのだ。
 今じゃ愛に昇華したくて、たまらない。

「あ、いや俺は、用事あるから、」
「いいだろ。帰ろ」
「かぜま……っ」

 逃げようとする手首をぐいと引っ張って、寄せる。
 勢いあまって抱きしめていた。

「!!!」
「っわ、ごめん!」


 慌てて遠ざけて、でも手は離せない。離さない。
 放せばきっともう、帰ってこないから。


「……いいよ」
「え?」
「一緒に、帰ろ」


 なんとか円堂の了解を得て。
 すぐさま俺は、昨日のことをもう一度、円堂に話したいと思っていた。
 嘘じゃない。本当に円堂のことが好きなのだと。
 けれど、

「あ、あの、円堂」
「…………」
「ちょっと待てお前、おい、」



 ――速過ぎる!



 円堂の歩く速度は、それが歩みの内に属さないということが明白なほど異常なものだった。試合中のフォワードのスピードを超えているんじゃなかろうか。
 とにかく無駄がない。隙がない。入り込めない。スピードじゃチームの誰にも負けない自信があるというのに。

 言い出せないまま、気づけば既に円堂の家が目前に迫っていた。ヤバい、これはあれだ、俺達ソウルメイト、思い出忘れない、このままサヨナラというパターンに持って行かれる。そんな気がする。間違いなく円堂は昨日のことを気まずく感じているのだ。俺がそうであるように。

 なかったことに、なるのだ。
 今までが、ぜんぶ。

「――じゃ、家ついたから」
「……!」

 だというのに。
 円堂はまるで天使のような、優しい笑顔を浮かべていて。
 今までを、ぜんぶ、なかったことにするような。

 優しい笑顔で、俺を、見送る。

「今までありがとうな。風丸が一緒にサッカーやってくれて嬉しかった。俺、忘れないから。ばいば」
「嘘つくな!」
「!」

 息も絶え絶えのせいで、怒鳴られたように思ったのか、円堂の肩が震える。

「忘れたいんだろ、お前」
「……そんなわけ、ない」
「昨日のこと、忘れたいんだろ。ぜんぶ」
「…………」

 とうとう、俯いてしまう。
 その顔を見て、そうか、と気づいた。

 俺もきっと、ずっと、こんな顔をしていたのだ。
 奈落の果てで毒にぬかるんで死にそうな、こんな顔で、鬼道に語ったのだ。
 傷ついた鬼道に、中途半端な失恋を、この世の絶望のように口にしたのだ。

 そんなの、許せないに決まっている。


「でも、忘れさせないからな」


 許されないと、分かっていて。
 それでも謳うのだ。

「今日も、明日も、三日後も、その先も、ずっとずっと、俺は、同じことをお前に言うからな」
「……!」

 どんなに、四月に嘲われようと。
 どんなに、馬鹿と嗤われようと。

「好きだ。俺と付き合ってくれ、円堂」

 この言葉を、真実と認められるまで。ずっと。




「…………嘘みたいだ」
「だから嘘じゃないって」

 半ば放心したように、円堂は俺を見上げる。
 虚ろな瞳の先に、揺らめく光が見えた。

「嘘じゃ、なかったって」
「……うん。紛らわしくてごめん」

 きれいに、笑う。



「………………、うれしい………………」



 なあ、風丸。
 あのとき、あの瞬間。

『円堂のことが好きなんだ』

 俺の唇は、ぽとりと、

『俺と付き合ってくれないか』

『いいよ』と動きそうになって、止まったんだよ。


 ずっと見ていたから。
 ずっと好きだったから。


 だからこそ嘘だって、思った。
 信じて、否定されるのが怖かった。
 でも、そっか、




 うそはない。どこにも。
 だからこの気持ちだって、







「いいよ」



 うそなんかじゃ、ないんだよ。












 ……だって、すきだから。








 タイトルの「うさあねえ」は漢字で「嘘無」。「うそはない」の江戸語だそうです。

 相手のいうことを無造作に肯定することばということで、円堂さんの気持ちからつけさせていただきました。ウサちゃんみたいで可愛いよね!(


 今日はエイプリルフールですが、皆様はたくさん嘘をついたでしょうか?笑

 楽しい嘘なら大丈夫ですが、相手を傷つける嘘をつかないよう注意してくださいね! 読んでくださってありがとうございました!





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