「……でさー、風丸ってモテるだろ? だからこういうときどうすればいいのか、教えてくれるかなって」
「そうは言われてもな……。実際に女子と付き合ったことなんかないぜ」
そうなのか!? とこちらが驚くほど大仰な反応をされて、風丸は逆にへらりと笑ってしまう。
高校入学を控えた、春休みである。
留学や引っ越しなど何かと忙しい友人たちが多い中で、風丸と円堂はとりわけ静かな日々を送っていた。今日も円堂と共に、近所の喫茶店へと遊びに来ているくらいだ。
二人とも近隣の高校に入学する運びとなったためだが、それが幸運なのか不運なのか、風丸には判断がつかずにいた。
円堂は少しばかり緊張した面持ちで、手にしたオレンジジュースを無意味にかき混ぜながら、風丸の反応を待っているようだった。
ス、と息を吐いてから、眼を閉じ、自分が落ち着いているのを確認してからようやく、口を開く。
「いいよ」
「……ほんとか!?」
ガタタッと大きな音を立てて叫んだ円堂に、怪訝な面持ちで周囲が視線を寄越す。
慌てて再び椅子に身を沈ませると、あたたかな笑みを表情いっぱいに広げ、うれしそうに声が弾む。
「……ありがとなっ風丸! 頼れるの、おまえしかいなくてさ!」
「大して役には立たないと思うけどな」
こうやって、頼られる感覚は、きらいじゃない。むしろ、喜んでお引き受けしたくなる。
好きな人に唯一と呼ばれて、飛び上がらない人間などいるだろうか。
それが決して、幸福ばかり招くわけではないけれど。
「でさ、」
いつか奪ってやりたいと企み、盗み見ばかりしてきた唇が紡ぐ。
「俺、女子の気持ちとかよくわかんないんだけど」
俺じゃない、名前を、そのために、いとおしそうに形を結ぶ。
「初デートってさ、どういうとこに誘えば喜んでくれるのかな?」
それは残酷な、宣告。
俺の恋は、たぶん叶わない。
「なんでそんなこと引き受けたんだ?」
自問自答は、ばからしくなるほど空虚だった。
自室のベッドに転がって天井を見上げると、見えない星空の下、己の小ささだけが身に染みた。
片手に握る携帯電話は、高校入学を控えて親が支給してくれたものだ。電子機器を操るのが楽しくて、手に入れた当初は気軽にメールや電話機能を利用しまくったものだが、今となっては電源をつけて放置するのが日課となっている。
昼は会って話し、夜はこうやって円堂からの報告、結果、相談を、待つ。
俺は円堂が彼女とうまくいくための作戦、言動、要素を、授ける。大きく分けて二つが、今のこの携帯電話の役目となっていた。
下がるサッカーボールのストラップは、お揃いの品。
「俺の方が、ずるいのかな……」
それは、たぶん、そうだ。
そもそも友達にこんな感情を抱かれているなんて、円堂は考えてもいないだろう。気づいてくれと思うほうがおこがましい。
これは勝手な、恋だ。最初から神に祝福されていない、終わってはじまるひとつのお笑い種。
想うことさえ罪で、
祈ることさえ、罰なのだ。
わかっている。
わかっている。
だれよりも、なによりも、わかっている。
「それでも、好きなんだよ」
ある日風丸は男に生まれた。
円堂も男に、生まれた。
それだけで、もう、終わりだった。
救いも誤魔化しも、ありはしない。
このため息が、届けばいいのに。
そうすればこの苦悩を、少しでも感じてもらえるかもしれないのに。
独りよがりの身勝手が、君の幸せを壊すって、知っていても。
「円堂…………」
握りしめた携帯電話が、とうとう鳴ることはなかった。
その日は一日中雨だった。
雨足が激しく、雷鳴さえ轟きそうなほど空が歪んでいる。傘を装備せずこれを突破するのは風丸の足を以てしても至難の技だろう。しばらく雨宿りしようと、不本意ながら教室へと引き返すことにする。
廊下の隅で、円堂を見つけた。
慌てて隠れてから、その必要がないことにはた、と気づく。
けれど、高校一年生になってクラスも分かれてしまい、会話どころか挨拶すらまともに交わさない日の方が多かった。
どんな顔をすればいいのかわからなかった。何気なく話しかけるには、勇気が要った。
「…………」
しばらく考えてから、壁から首だけ出して様子を窺うことにする。あわよくば一緒に帰れまいか、と期待が胸を急かしていた。
と、
「……だから。悪いけど……」
硬直する。
円堂のものでない、しかし聞き覚えのある声が、小さく確かに、聞こえたのだ。
「……お願い」
「おう。分かった!」
間を空けず、円堂は頷いたようだった。
それで会話は終わったのか、円堂は振り返ると、こちらに向かってまっすぐ歩いてくる。
風丸は全速力でトイレに飛び込んだ。今この現状で、先ほどのように浮かれた気持ちでいられるわけがない。隠れるのが得策だった。お互いにそれを、望んでいるようにも思えた。
扉に耳を当てていると、やがて小さな足音が左から右に去っていく。すっかり聞こえなくなるのをもどかしく待ってから、そっと体を外に押し出すと、靴箱の方から僅かな物音がした。
静かに寄っていくと、円堂は空を見上げ、沈黙している。
かけるべき言葉に、どころかここで出て行くべきか悩んでいると、まるでその隙を見計らったように、円堂は一目散に駆けだしていた。
あっ、と声を上げる暇もない。
豪雨の中、傘もささずに、走っている。
その背中が、共にサッカーをしていた頃の、あの力強さを微塵も感じさせず。
ちいさなちいさな、背中が。
暗闇に、埋もれるように、沈んでいく。
太陽だって、毎日、輝いていられるわけじゃない。
その事実を認識し、風丸はしばらくの間、呆然とその場に立ち尽くしていた。
家を出ると、ちょうど円堂が通りかかっていた。
お互いに同時に気づき、同時に手を挙げて、同時にはにかんでいた。そのとき強く、俺と円堂はやはり友達なのだな、と感じた。こころはずいぶんと、遠くの方でもがいていた。何かの弾みで壊れてしまいそうだった。
「おはよ」
「おはよう」
挨拶を合図にして合流する。これで、学校まで自然と円堂の隣を歩く理由ができた。ほっとする。
もうそんな形しか信じられないほど、距離が空いていることすらわからずに。
「今日は一日晴れそうだな」
独り言のような気軽さで、円堂が呟いた。
振り仰いだ風丸は、ああ、と理解し、頷く。そうだな、と付け加えると、円堂は視線を少し落としたようだった。
「な、風丸」
「ん?」
「俺ってさ、だめなヤツだよな」
返事は、即答できない。
無性に泣き出したい、気分に駆られた。
「そんなことないよ」
声は震えていた。
誤魔化すために、欠伸をセットで送り出す。
円堂がぶるる、と寒さに怖がるように戦慄いた。
「……そうかな」
「そうだよ」
こんなに近くにいるのに、わざわざ離れて、二人して体を温める術を知らないようだった。
強いて呼ぶならそれは円堂から俺への決別だったのかもしれない。
強いて言うならそれは俺から円堂への餞別だったのかもしれない。
俺は花束を持って歩いていた。
向かうのはいとおしい、彼の人のところ。
気分は自然と弾んでいた。
鼻歌さえ軽く飛び出しそうなくらいだった。
目眩するみたいにクラクラと視界は踊り狂っていた。
向かう先は舞踏会だから、そんな道化も必要だろうか。
歩く。
歩く。
走って、その、元へと。
人混みをかき分けて、たどり着いた。
そこで太陽が、今まで見たこともないほど輝いて、笑っていた。
……そう。
この笑顔があるなら、それだけで、なんだって。
最後の想いを込めて。
俺は花束を掲げ、叫ぶ。
「結婚おめでとう、円堂!」
さようなら、こいごころ。
(あと少しだけ、側にいさせて) Esperanza、太陽の君へ