「お前なんか豪炎寺の代わりにはなれない」

 当たり前だよ。
 人は誰かの代わりになんて絶対になれないんだもの。

「お前なんか俺は認めない」

 でも僕の力は必要とされているんでしょう?
 それならここに立つ権利は与えられているんだ。

 そうだよね、キャプテン?




ペンデュラム (ぎこちなく、動かされて。右に左に、君の心に)





 強いて言うなら僕は孤独な子です。
 でもそれをここにいる誰もが知りません。


「うあー、北海道ってこんなに寒いんだなあ……」

 ぶるり、と脳天気な声と共に身体を震わせた円堂に、吹雪は小さく笑って頷く。

「そうだね。本土に比べればずっと気温は低いと思うよ。防寒具でも貰ってくる?」
「うーん……ありがたいけど、我慢するよ! しばらくここにいるんだし、ちょっとは慣れないとな」

 気温など無関係の笑顔に、吹雪自身も自然と表情が綻ぶ。円堂守は知り合ったばかりの少年だが、何故こんなにも気を許せるのか不思議なくらい、優しくて柔らかい人柄の持ち主だった。

 現在吹雪と円堂は、二人きりで、教室の床に並んで座っていた。
 普段吹雪達学級の生徒が利用している教室を一部屋借りてストーブの熱で身体を暖めているのだが、如何せん古い機材のためか思うとおりに動かない。しかも熱は狭い部屋を満たす程の力もなく、あやかりを諦めた雷門の生徒達はキャラバンに引っ込んでしまった。勿論長旅の疲れもあるだろう。

 しかし同じ境遇にあったはずの円堂がここに残っているのは、きっと吹雪に対しての興味や好奇心が芽生えていたからなのだと思う。多少は遠慮気味ながらいくらかの質問を受けた吹雪はそう感じていたし、それが自惚れでないことも円堂の反応を見ていれば分かる。別に誰かに褒められたいからサッカーをしているわけではないが、純粋に楽しげに聞き手に回る円堂には少しも嫌味がなく、吹雪も気づけば声が弾むほどだ。こんな感覚は久しぶりに味わうもので、それ故身体も動かしていないのに妙な充足感が満ちている。

 彼ら雷門中サッカー部は吹雪の噂を聞きつけて北海道までチームで訪れたようだが、既に吹雪は、キャプテンである円堂がどれ程サッカーを大切に思い、好んでいるのか理解していた。嘘偽りも邪気もない言葉は、人並みに疑り深い吹雪にはひどく澄んだ音色で届くものだから、信じる信じないの概念もなしにそれをありのままに受け止めてしまう。しかもその違和を、むしろ心地よいものと感じている自分がいるのも事実。思わず吹雪は笑ってしまう。

「? どうかしたか?」
「あ、ううん。何でもないよ。それより――」

 まだ話したいことが、いっぱいある。
 ぼんやりと時を過ごすのが性に合っている自分にはひどく珍しい、急いた声で続けようとする。その時、

「おい、円堂」

 和やかな時間が突然、棘のある声に刺されて停止した。

 振り向くと、教室の扉を開け放ち、そこに憮然とした表情で立っている人物がいた。

「染岡」

 円堂が呼んで、ああ、とようやく思い出す。握手を求めた時に、無視をして駆けだしてしまった人だ。
 吹雪はそれで怒るわけでもないし、わけを問いつめる意味も感じない。だから自然と笑顔のまま黙っていたのだが、その態度が気に入らないのか、小さな舌打ちが聞こえた。
 初対面特有の気まずさや距離感もなく親しげに寄ってくる円堂に対して、染岡は、元より心を開く気のない不躾な眼で睨んでくる。
 悪意を隠さない相手は読みやすさも相俟って吹雪はあまり苦手ではないのだが、どうも向こうの見解は異なるようだ。

「何でそんなヤツと喋ってんだよ」
「そんなヤツって……。吹雪に失礼だろ、染岡」

 自分のことのように表情を歪めた円堂はどうにも可愛らしい。それを横目に眺めながら、吹雪は緩く首を振った。

「僕は別に構わないよ。そこまで沸点は低くないし」

 ひく、と表情筋を引きつらせた染岡に対し、吹雪は笑いかける。

「染岡くん、だっけ? できれば、仲良くしてくれると有り難いんだけどな」
「……誰が、お前なんか」


「お前なんか豪炎寺の代わりにはなれない」


 その言葉は。
 穏やかな円堂の言葉ばかり受け取っていた心が、多少なりとも軋む威力を持っていた。
 しかし、それよりも。


「染岡……っ!」


 その直後の、焦ったように、泣き出しそうなくらいに震えた円堂の声で、染岡の暴言は効力を失い掻き消され、唐突に視界が、ぐるり、とブレた。
 円堂を映しているはずなのに、なのに、何も視えない。

 暗い、深い闇に据えられ、横たわるようにして澱み蠢く。あまりに突然だからこそ、それはあれに、酷似していた。

 痛みの記憶(フラッシュバック)、だ。

 雪崩が、押し寄せる。それを。
 奪われる。盗られる。それで。
 泣き叫ぼうと、どんなにか追い求めても。
 もう二度と、絶対に、帰ってこない愛おしさ。


「――――――――――――――――」
「吹雪!?」


 苦しい。
 胸が鉛で押し潰されるように、息が詰まる。
 冷や汗がどっと噴き出して、奔流して、決壊する。
 心に殺されるかもしれないと、思った。

「ッ……」

 眼球が、眼窩からこぼれ落ちるくらい、膨れあがる錯覚と。
 思い出の中の彼が、笑いながら手を伸ばす、都合の良い幻覚が。


 見えた。
 確かに。

 手は、本当に、伸ばされていたのだ。


「吹雪……大丈夫か?」
「……………………、」

 沈黙の果てに。

 吹雪は自分が、温かな身体に抱きしめられていることに気づく。
 円堂守、だ。

「ゆっくり、ゆっくりでいいから、深呼吸して」
「……ッ」

 応える余裕は勿論、どこにもない。
 吹雪は、暴れ回る心臓を抑えつけようと手を振り上げかけ、しかしその動作を無理矢理行おうとすれば円堂の心臓まで揃って抉ることに気づいた。だとしたらこの手は動かせない。彼を巻き込むことだけは絶対に、あってはならない。
 今できるのは、そう、言葉に従って呼吸を落ち着かせること。
 暴れてこの優しい少年を傷つけることのないように、自我を取り戻すこと。

「うん、無理すんなよ。ゆっくりだ」

 溜め込んでいた息を、一気に、吐く。
 同時に一粒、生理的な涙がぽたり、とこぼれた。
 首筋を掠めた吐息がくすぐったかったのか、円堂が小さく声を上げる。意識していないだろうそれが艶めかしくて、急に現実感が吹雪を襲った。

 違う誰かには、なれない。
 そんなことは、知っている。

 知っていても尚、縋り付く弱い人間がいることを、きっと染岡は知らない。

「吹雪、少しは落ち着けたか?」
「……うん」
「どうしたんだ、急に」

 ぽん、ぽん、と断続的に背中を優しく叩く手が、あたっていたストーブよりずっと温かくて、人間が生きていることを実感する。亡くなればもう、二度とこの温度を保てないことも痛感する。

 吹雪を宥める円堂の声には、安堵と心配の気配はあっても、一つの動揺の色も浮いてはいなかった。
 染岡の言葉に過剰に反応し、竦んだ弱さは、消えたようにどこにも見当たらない。

 けれどどうしても見つけたくて、未だに抱き合ったまま、手を伸ばしては引っこめる。最後にどうしようもなく口を開きかけ、


「言いたくないなら、言わなくてもいいからな」


 結局、再び閉ざす。


『豪炎寺って、誰?』


 それだけはどうしても許されない言葉なのかもしれないと、密かに思った。







 
ブログに掲載したものに加筆修正したもの。
豪炎寺離脱後シリーズ第3弾です。染岡さんは途中でログアウトしました。

back
inserted by FC2 system