深夜告白録



深夜告白録 (心の声は、どうしてこんなにも小さいの)







 眼が覚めると、無意識的に最初に気づいたのは、この空間に円堂の姿がないことだった。


 電気を消す時は確かに埋まっていたはずの寝袋はもぬけの殻で、鬼道は静かに立ち上がると時計の針を確認した。

 ――深夜2時か。

 真帝国学園との厳しい戦いを終えたチームメイト達は、皆激しく消耗したのだろう、固く眼を閉ざして一心に寝入っている。
 その中に、円堂と同じく姿を消している者が見当たらないことに内心深く安堵し、その感情に自己嫌悪を覚えながら、気配を殺しキャラバンの外に出た。


 プシュッ、と軽い音を立て、スライドしたドアから身体を滑らせる。深夜だというのに肌寒くはなく、むしろ心地よいくらいの温度を身に纏う。
 迷いなく、ある種の直感をひしひしと味わいながら、車体にかけられたハシゴを上り顔だけ出すと、そこには一人の少年が座り込んでいた。
 ……否、そう生易しい表現ではくくれない、とてつもなく痛々しい呻きと共に、円堂はしゃがんで、じっと耐えていたのだ。

「……ッう……!!」

 誰かを起こして、事が露見しないために。
 若しくは、自身の弱さにさえ打ち勝ちたいがために。

「ぐっ……」

 歯の根を食い縛って、わなわなと戦きながら、力ある両眼だけをしかと闇に据え、痙攣する身体を抑えて、悶え苦しんでいた。

「……っ」

 すぐに駆け寄りたい衝動。
 そして、あいつならこんな時どうするかなどと、つまらない妄想。


 円堂の心を傷つけずに。
 円堂の決意を、踏みにじらずに。

 円堂を守れる方法だって、きっとある。
 だけど――

「円堂」
「! き……どう……?」

 呼んでしまう。
 サッカーと違って、最善の策なんて一つも思い浮かばず、愚直なまでに行動する他ない。のだ、結局のところ。
 何故なら。
 それが俺から発信する、嘘偽りない円堂への気持ちなのだから。


 笑ってしまうほど情けなくても、答えだと信じたくて。



「隣、いいか?」
「……うん」

 断られても無理矢理座る予定だったが、存外素直に了承を得る。
 それも信頼の証かと嬉しくなると同時、あいつならきっと抱擁の権利すら与えられているのだろうと苦しくなる。無意味と分かっていようと、勝手に思考してしまう。

 悔しくて、予定調和から外れたくなって、一歩身を引く枷を外すと、無防備に座り込んでいる円堂の片腕を絡め取った。
 その途端に「痛っ」と悲鳴が上がり、けれど離しはしない。縋るような眼から視線を逸らす。

 鬼道は、円堂のジャージのチャックをずり下ろした。
 激痛による混乱と、何をされているのか理解していない硬直で唖然としている円堂から拒絶はない。
 白いTシャツが見えて、鬼道はそこで初めて口を開く。

「ジャージ、脱がせてもいいか?」

 張り詰めた問いは、羞恥の余地も、選択の可能性も与えてはくれなかった。
 結局、鬼道は円堂の右腕だけジャージを脱がし、予感が的中したことを痛感することとなる。
 何も言えずにそれを見つめているだろう鬼道のゴーグルから、洩れるのは後悔と切迫の念だけだ。

「……笑っちゃうよな」

 鬼道には視線を合わせず、円堂が小さく呟いた。改めて自分に言い聞かせているような声音だった。


「皇帝ペンギン1号。まともに受けたのは一度なのに、このザマだ」


 青紫の痣が散った、震えの止まらない腕。

 日々の特訓での傷も含まれているだろう、しかしそれら努力の勲章が揺らいでしまうほどの、凄まじい筋肉の軋みが蠢き、少年の華奢な肉体を押し潰すように君臨している。

 今まで何度も、雷門中を、チームメイトを、救い、守護した円堂の声なき絶叫。触れているだけで伝わってくる、疲労と限界突破に溺れ悲鳴すらままならぬ憔悴しきった身体。

 鬼道は小さな声で、どうして言わなかった、と問う。円堂は困ったように笑った。切ないほど優しい笑顔だった。

「みんなに心配はかけられないし――染岡と目金だって怪我をしてる。チームメイトが頑張ってるのに、俺ばっかり楽はできないよ」
「そういう問題か!?」

 怒鳴られても、両眼の光だけは、微塵も揺らぎはしない。

「……俺は、キャプテンだから」

 知っている。
 唯一と認めた、存在なのだから。

「こんな所で倒れるわけにはいかない」

 強靱な意志を、誰よりも。
 この瞳の強さを、誰よりも。

「エイリア学園を倒してさ、もう一度」

 反発し、魅せられ、受け入れて。


「楽しいサッカーがしたいから」


 ここまで共に、歩いてきたのだから。




 抱きしめた。


 全身傷ついた身体も精神も、これ以上痛めないよう、壊れ物を扱うような手つきで。
 振り払いはしなかったが、困惑したように、円堂がか細く鬼道を呼ぶ。


 その弱さを隠せるくらいの強さが、欲しかった。
 ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、欲しかったのだ。


 だから、本当は。
 この言葉を、伝えるべきでないと知っていて、口にしてしまう。


「守りきれなくて……すまない」

 円堂を更に追い詰めてしまうことを、理解しているくせに。

 俺はこの温かさをいつまでも頼る。

「何言ってんだよ。鬼道は必死にシュートを止めてくれたし、それに――佐久間と源田だって、意志を取り戻してくれた」

 こうやって。
 鬼道を気遣い、佐久間達が助かったことに安堵の吐息を洩らし。
 その優しさに、自分だけは決して、含みはしないのだろう。

「足、大丈夫か? 鬼道」
「俺のことなら構うな。お前こそ、全身に痣が出来ているだろう。治療をした方が」
「平気だって。これくらい大したことない!」


 何故、笑えるのか。理解できない。
 一人ではもううまく体重も支えられず、鬼道にもたれ掛かって震えているくせに。


「……俺はさ、今日のサッカー、楽しくなかった」
「え?」


 鬼道の抱擁には応えずに、ぽつりと独白する。
 声はあまりに、独りぼっちで。


「サッカーは、人を傷つける道具でも、自分を傷つける手段でもないから。佐久間も源田も、きっと、少しも楽しくなかっただろうなって。
みんな、苦しそうにボールを追いかけてた。それを、見るのは――辛かった。

怪我より、その方がずっと、痛かった」


 だから。
 二人を助けられて良かったな、と笑う。

 ああ、と頷き、それでも。


 俺のサッカーの全ては。
 お前が傷ついてしまったら、意味は全部、失われてしまうんだって。

 伝えないのが、きっと正解。



 お互いの表情が見えないかわりに、お互いに次の一言だけは、鋭敏に感じ取っていた。
 それは、抱きしめていて、抱かれているから、こそなのかもしれないし。
 もしかしたら、本当は最初から、その人に口にしたかった言葉だからかもしれない。



 言えなくて。
 守れなくて。



「「ごめん」」



 痛いのに。
 好きなのに。



 夜の闇に隠されて。
 こんなにも遠いなんて、嘘みたい。






 
前回の鬼円に雰囲気そっくりですみません……。
二期だとついこんな感じに。次はこうはならない、はず!

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