アヤメグサ

「ベルが、最初に殺した、ひとは、だれ?」
 その質問を。
 好奇心でも、決して今まで誰にも触れられなかった、何故ならばそれだけの意味と禁忌が含まれているだろうと全ての者に無言で知らしめていた、今のベルが始まった確信を。
 発したのは、今のベルのボス。
 ボンゴレ十代目サワダツナヨシ、その人だった。

「王子が最初に殺したの? そんなの、訊いてどうすんのツナヨシ」
 楽しげに、ツナの真っ正面で変わった笑いを口元に浮かばせるベルに、ツナは無表情で、ただ訊く。
「ううん。ただ、訊いておかなきゃいけないと思ってね」
「……ん?」
 少し、普段とツナの様子が異なることに鋭敏な感覚で反応したベルは、一瞬眉を顰め、しかし気にせずにもう一度笑んだ。

「俺王子だもん。そんなの、いちいち覚えてないよ」
「そっか。じゃあ――」
 ベルにとってのツナは、玩具。
 飽きるまで遊んで、いずれ壊す、お人形。
 そう、思っていたはず、なのに。

「殺さないと」
 ツナのその言葉を聞いた時。
 感じたこともない心の最奥、何かが叫んだ気がした。





アヤメグサ(最初に殺した者と、最期に殺した君)




「……………………へ」
 意味が分からず、聞き返したベルに、ツナは繰り返す。
「殺さないと、ベルのこと」
 …………。
 意味が、分からない。

「何、言ってんの? ツナヨシ」
 彼がボンゴレ十代目に据えられてから、既に何年が経つのだろうか。
 当初はボンゴレファミリー独立暗殺部隊ヴァリアーとしてツナの前に反逆者のような立場で敵対したベルだが、現在と過去では全く異なった立場、心情にある。
 ツナのために血を流し、ツナのために朽ちる場所で、ツナのために戦っている。
 その覚悟が、溢れる全てが、ツナ自身によって浅く塗り替えられているようなあまりに異質な言葉に、ベルの髪で隠された瞳が揺らいだ。

「ずっと、思ってたんだ」
 ツナが、いつものように、ベルが大好きな笑顔を見せない。
「マフィアやその他たくさんの人間の血で染まったこの世界」
 笑わない。意思がそこには、ない。
「折れて、枯れて、腐って、死んでるんだよ全部」
 あの、日溜まりのような優しさが、失せている。
「無理矢理に引き込まれた。嫌だと言ってもねじ伏せられた。
泣いても叫んでも逃れられない。争いの渦へと巻き込まれた。
収監されたも同然の部屋に投げ込まれて、地位を与えられた」

 …………目の前にいるこれは、誰なのだろう。
 ぼんやりと、ベルは、そんなことを思った。
 玩具だと、かんがえていた、のに。
 傍にいたい理由を割り切って、此処にいたはずなのに。

「俺は憎い。俺に人を殺させて俺が人を殺して俺が人を殺すことを癖のように思考することさえなく一瞬の躊躇も感じさせず殺戮を行うようにプログラムさせたこの身体も俺が人の血を何度も何度も浴びてもそのにおいを感じさせず殺戮を行うようにセットさせたこの脳も全てが憎い憎い憎いどうして俺はこんなにも汚れて愚かなままに壊れてしまったのか何故俺は狂っているのか俺を俺でなくさせて俺を殺した俺は一体俺以外の誰が俺であるのかさえ忘れさせたこの身体と脳と存在自体全てが憎くて哀しくて、あまりにも、苦しい」

 だって、ツナが泣きそうだ。
 泣きそうに顔を歪めて、息もせず、言葉を嘔吐している。
 だって、ツナが泣きそうだと、ベルまで哀しくなる。
 早く慰めて、笑顔を取り戻させてあげたいんだって、思ってしまう。

「俺は、もう、嫌なんだ」
 ベルの超人的な反射でさえ反応もできない速度で、ツナの手にした拳銃の銃口がベルの頭へ突きつけられていた。ベルは、ツナが椅子から立ち上がったことにも気づいていなかった自分を、少し不思議に感じる。
 ぼんやりと、銃口をどけることもせず、今にも涙をこぼしそうな声を聞く。

「何もかもが、壊れて、俺の中で霧散していく。俺は、もう、死んだ」
 だから、と彼は続ける。
「みんな、一緒に来て」
「…………みんな?」
 ぴく、とベルの神経に障る言葉。
 みんな、というのは、ベル以外の誰のことだ。

「ツナヨシ、コップ一杯分の人間と心中したいの?」
「冗談じゃないよ。茶化さないで」
 塗り重ねられる。
 ベルの存在も、思いも、ツナの言葉で踏み消される。

「…………して」
 玩具だと、思っていた。
「どうして、」
 人形だと、思っていた。
「どうして、俺と」
 いずれ捨てるのだから。
「どうして、俺と二人で」
 いずれ壊れるのだから。
「どうして――」
 けれど、何もかもが違った。


「どうして、俺と二人で死んでくれないの?」
 ツナヨシは、ベルと出逢ったあの日。
 独立暗殺部隊ヴァリアーとして、ベルと出逢ったあの日既に。
 完全に、壊れてしまっていたのだ。

 ベルの手元から、ツナに向かって飛来する。
 鋭く尖ったそれは――ナイフ。
 この至近距離でも、避けることなど今のツナには容易いだろうに、彼は避けなかった。
 その細い喉に、突き刺さる。
 ぐ、と……押し殺した悲鳴。
 ごぱ、と皮膚を破って飛び出すのは、鮮血。
「……ツナヨシ、俺が最初に殺したのは」
 もう二本、か細い首へとナイフを放つ。
 一本は安易に外れて、ツナの頬を掠った。

「兄だよ、双子の兄」
「……そ、か」
 拳銃を落とした震える手が、ベルの頬へと静かに添えられる。
 優しい、体温。ベルが離れられなかった、日溜まり。
 彼が、狂ってしまっていた。
 彼が、壊れてしまっていた。
 ベルの大好きだったサワダツナヨシは、最初から人格が破壊されていた。

 でも、と思う。
 そんな彼が、狂おしくて、愛おしくて。
 流したことのない涙が、こぼれそうに、なる。

「……偉い、な。ベル」
 名前を呼んでもらって、嬉しい。
「殺してしまったひ……と、おぼえて」
 ツナは、やはりツナ以外の誰でもなかった。
「だいじょうぶ。ベ、ルは、壊れてないね」
 ああ、だって。

『指先に、点った炎が輝く。なんて美しく咲き誇るのか。
皮膚から、肉さえ裂いて、溢れるのはこの身体宿りし永久なる魂』

 サワダツナヨシが、ベルの大好きな表情で、ベルを壊してくれるのだから!
 
 



 タイトルの意味は、「殺しの癖は過ち」です。
 全体を通して抽象的なので、タイトルを思って理解をくだされば嬉しいです。


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