雲雀は入院していた。
風邪をこじらせて入院していた。
初めてのことではない。寧ろ回数はかなり多い。
それを知ると大抵の人間は驚愕したり、不思議と恐怖したり。
その理由が、よく分からない。
だから、何も分からなくて。
気づいていたのに。あの異様な愛着も、異質な関係にも。
それでいて、たまに邪魔して、たまに見逃して、跋扈。
気づいていたのに。
気づいて、止める力も、あったはずなのに。
嗚呼。
もう、間に合わない。
冷めたせかい (君はもう、変わってしまった)
今日、雲雀の使用している205号室に、新たな患者が来るという。
そんなのうざったくて咬み殺したくなるから、その患者の名前を聞いてから咬み殺そうと思っていた。
しかし。聞いて、から。雲雀は同室を許可した。
それは、並盛中学に通う、一人の生徒。
サワダツナヨシ。
小さく、咳をする。
隣のベッドに横たわる人影が、ぴくりと動いた。
「……あ、あの」
「何?」
口の前に手を当てたまま、雲雀は不機嫌にそれを見下ろした。
それ。
「雲雀さん、俺なんかが同室で、やっぱり迷惑でしたよね……?」
沢田綱吉は。
両手片足を骨折し、全身を打撲跡で青あざが覆い、小さな顔に切り傷を幾つも貼り付かせ、片目を包帯で巻いた、文字通りぼろぼろの姿でそこにいた。
普段とは違う、喉が潰れたのか、掠れきった声。
ベッドに固定され、手足を吊り、病院服を纏って。
雲雀さえが信じられない容態に動揺し、衝撃を受け、目を見開いた惨状。
病室に初めて来た時は寝息を立てていたツナの後から、歩いてきたのはリボーンだった。
『……赤ん坊。これは、どういうこと?』
怒りも露わに、雲雀はリボーンを容赦なく睨み付けた。
『君のいう修行だとかで、この子を、こんなにしたの?』
殺気に全く怯まず、どころか溜息さえついて、リボーンは答えた。
『ちげーぞ。修行でここまでやるわけねえだろ』
『じゃあ、何なの一体。赤ん坊といえど、隠すなら――』
「雲雀、さん?」
はっとした。
あの時告げられた、リボーンからの言葉が、今も離れなくて。
ツナを見る。
相変わらず、寝たきりの姫君のように、シーツに横たわって。
ぐったりと、顔には生気がなく、包帯に隠された傷跡も痛々しくて。
なのに、その顔は。
――笑っている。
貼り付いたような、もう離れないような、こびりついたような。
頬の傾きも設定されて。角度も脳に刻まれて。当たり前のような顔をして、当たり前の違和感を放っている。
まるで壊れた人形の、よう。
「別に。五月蠅くないなら、どうでもいい」
「そうですか……すみません」
どうして、謝るのだろう。
誰にやられたのか、なんて。本人には確認できない。
壊れる、ほんの一瞬前の状態で、なんとか保っているのに。
雲雀自らが、拾い上げようとして、そして地面に落ちてしまったら、もう二度と戻らない。戻れない。帰れない。
六道骸。ツナに何も告げず、けれど本心はツナの為に戦った雲雀が敗北した相手。
憎くて憎くて憎くて。こらえきれない殺戮衝動が、緩やかに溢れ出した。殺したい殺したい、あいつだけは。
あいつが。
あいつがサワダツナヨシを、壊した。
『六道骸だ』
リボーンの、冷めた言葉が、甦る。
六道骸が、ああしたのだと。抵抗しないツナの顔を容赦なく殴りつけ、踏みつけ、眼を潰して、首を絞めて、階段から突き落としたのだと。
あいつが、傷つけた。あいつが、あいつが。あいつが。あいつ、あいつ。
「雲雀さん、あの」
「……何?」
「雲雀さんも、風邪とか、ひくんですね」
なんでそんな、なんてことはない、どうでもいいような話題?
その選択肢に、拒絶を感じ取って、雲雀は端正な顔を歪めた。
「僕が風邪ひいちゃ悪いの?」
「いえ、そうじゃないですけど、なんか意外で」
渇いた喉を、くすくすと。
無理な笑い。作り笑顔。片目の表情。青ざめた肌。
――聞いて、みようか。
六道骸にやられたのかと。
しかし、聞いて、そうして、拒絶されたら、どうする?
ツナが今より青ざめて、苦しんで、もがいて、泣きだしたら、どうするのだ。
「ねえ、沢田」
「はい?」
聞けるのか。こじ開けると分かっていて、無理矢理に。
「………………」
やはり、駄目だと。
雲雀が黙りかけた、瞬間だった。
「この傷のことですか?」
「――」
雲雀の表情は、ツナからは見えないはずなのに。
その驚愕の意さえも、言葉で聞いて理解したように、ツナは笑う。
「これは、骸にやられたんです。俺がいけなかったんですよ。骸の言うこと、冗談だと思って笑っちゃったから。そしたら骸が癇癪起こしちゃって、ほんと俺ってどうしようもないです。実はまだ謝ってないんですよ。どうしよう。骸まだ怒ってるかもしれません。クロームにも説得してもらおうかな。でもなんか引きこもってそうだし、クロームの言うことも聞かない気がします。やっぱり俺がしっかり謝らないとですね。なんか気が引けるけどしょうがないです。えへへ、早く、早く、早く……謝らないと」
雲雀の耳に、ツナの言葉が呪怨のように、渦巻く。
今まで感じたことのない、恐怖の形を、雲雀ははっきりと、愛おしいはずの少年に覚えていた。
違った。徹底的に、これは沢田綱吉ではなくなっていた。別の、同じ形をした何か。狂気に踊る何か。
「謝らないと。骸が許してくれない。頼んでもやめてくれない。ずっと叩いて叩いて。痛いって叫んでるのに。聞いてくれない。お願いしてるのに、首がしまって。息ができないのに、眼の中に指を差し入れて。謝る前に、突き落とされた」
骸への憎悪さえも、急速に沈んでゆく。朽ちてゆく。
ただ、横たわる少年の、何も見ていない虚ろな瞳と、隙間無く世界を文字で埋め尽くす音波を撒き散らす唇が、恐ろしく怖ろしく、凍りついていた。
気づいてしまった。どうしようもないことに、どうしようもないほどに。
「どうしよう。どうしよう雲雀さん。俺どうすればいいんだろう。どうすれば許してもらえるんだろう。骸に謝らないと。なのに、骸がいない。どうしよう」
「沢田」
不安定なノイズ。のに、笑顔。仮面のように、ぴったりとツナを覆い尽くして。
「沢田、」
「雲雀さん雲雀さん雲雀さん謝らないと。俺、謝らないとまた、」
「沢田……」
「また、どうしよう、傷つける。骸を傷つける。雲雀さん助けてお願い助けて助けて」
「沢田……っ」
「傷つけたくないのになのに」
「沢田!」
「どうし、よう……ッ!!」
泣いていた。
ツナの頬に手を寄せた雲雀も、久方ぶりの人の体温に触れたツナも。
雲雀は、何も出来なかった自分に悲痛な罵倒を。
ツナは、笑顔でありながら真っ赤な涙を流して。
戻れなくなるとか、壊れてしまう、とか。
もう、そんな許容範囲ではなかったのだ。
沢田綱吉は、完璧に狂っていた。壊れていた。
心が押し潰されて、絶叫を、上げて。
泣いて、……いたのだ。
狂ったせかいのはぐるまは、軋む。
救いようのない182769が書いてみたくて……。
バリ様の骸に対する感情は基本的に描写していないので、是非想像してみてください^^