あめのちはれごころ。 「……うげ」

 思わず低く呻いた。
 屋根の下見上げるのは、空から休まず降り続ける、水粒。






あめのちはれごころ。(大好きなのに、むずかしい)




 園崎魅音。雛見沢では知らない人間はいない園崎家の跡取り。
 ころころ変わる表情に、本人自慢のラインを描く体型。
 しなやかに伸びた髪は、天候によって少々垂れ下がっている。

「あれ? みーちゃんもしかして、傘忘れちゃったのかな」
「いやー参ったね。ここまでひどいとは」
 隣から傘を片手にやって来たレナに図星をさされ苦笑する。
 同性の魅音から見ても愛らしいその少女は、心配そうに言う。
「良かったら一緒に、レナの傘入ってかない?」
「ありがたいけどさ、雨かなり強いよ。レナ一人でも大変でしょ」
「はうう……確かに雨、強いねえ……」

 レナは後ろから元気よく走ってきた沙都子と梨花に問う。
「沙都子ちゃんに梨花ちゃん。傘余分に持ってないかな、かな?」
「傘ですの? む……すみませんが一つしか持っていませんわ」
「ボクもなのですよ」
 沙都子が不思議そうに首を傾げた。
「魅音さんが忘れたんですの? 珍しいですわね」

 あははと苦笑いして、魅音は心の中で自分の失態を軽く罵倒する。
 雨と予報されていたことを知っていて傘を忘れるなんて、普段の魅音ではありえないというのは自身でも分かる。
 その理由さえ、分かっていた。

「圭ちゃんが……」
「? 圭一君がどうしたのかな?」
 呟きが漏れていることにも気づかず、唸った。
 前原圭一。先日雛見沢に引っ越してきたばかり。
 転校してきた時は、暗い表情、後ろめたさを持った瞳を見て、あまり好きにはなれなさそうだと思ったが、圭一が部活に入り、親しくなるうちに、いつしかそんな彼に特別な感情を抱いていた。
 しかし彼は、鈍感だ。圭一がその事に気づかないほど鈍感だ。

 傍目から見れば瞭然という魅音の感情にも勿論気づいていない。
 楽しそうに話すレナと圭一を見て、魅音がしょんぼりしていることも分かっていない。
 気持ちを伝えない魅音も、悪いのは分かっているのだ。
 しかし、少しくらい感づいてくれたって、良いのではないだろうか?
 そうやって、どんよりと暗い気持ちを溜め込んでいるうちに、日常言動にも危うさが生まれた。今日の傘忘れもその一つである。
 気になってしようがなくて、兎に角、他のことに手がつけられなくなったのだ。

「大体圭ちゃんが……」
「俺がどうしたって?」
 魅音の眼が見開かれる。
「圭ちゃん!?」
「うわ! そんな驚くなよ!」
 笑う圭一に、魅音もつられて笑う。
「突然背後から声かけられたらびっくりするっしょ?」
「すまんすまん。んで、どうしたんだ?」
 梨花と沙都子は帰ったらしい。レナと三人が学校の靴箱の前にいた。

「みーちゃんが、傘忘れちゃったみたいなの」
「魅音が? へー、珍しいこともあるもんだな」
 あはは、と苦笑し、親しげに話す圭一とレナを見て、やりきれなくなって俯いた。
 ──所在ないとは、このことか。
 誰にも見えないように自嘲気味に笑ってから、ぱっと顔を上げる。

「いいよ。おじさん帰る帰る」
「え? みーちゃん、濡れちゃうよ……」
「だいじょーぶ。たまには濡れんのもいいって。……じゃねっ」

 後ろでレナが何か言っているのが聞こえたが、無視して、逃げるように走り出す。
 あまりに慌てていたためぬかるみに転びそうになりながら、必死に雨の中走り抜ける。
 ──馬鹿みたい。
 圭一に、傘に入れてほしいとか、言うことだってできたはず。
 でも、魅音は、言えなかった。

 泣きそうになって、走る気さえ失せて停止する。
 身震いして、どうしようもなく無性に情けない気分になる。
「……おいっ」
 瞬間、背後から声が聞こえて、何も考えずゆっくり振り向いた。
 圭一だった。
 持っている傘もさしていない。魅音が飛び出してから、慌てて追いかけてきたらしい。

「あれ、どしたの、圭ちゃんっ?」
 涙を拭いながら笑う。圭一は、「どしたのじゃねーよ」と溜息をつく。
「夏だからって、雨ん中濡れてったら風邪引くだろ」
「いいよ別に。明日から休みだし」
「は? 休みだから風邪じゃ嫌だろーが!」
 怒鳴るように言って、圭一は鞄の中から取りだしたものを魅音の頭に投げた。
 真っ白なタオル。
 投げてから近づいて、圭一は雨で額に張り付いた魅音の髪を拭く。
 恥ずかしくなっていやいやをする魅音に構わず、ごしごし拭う。

「ちょっ……圭ちゃん」
「うっせ。黙って拭かれてろ」
 何秒くらいそうしていたのかは分からない。けれど拭いても雨が降っているのだからさして意味がないことに気づいたらしい圭一は、持っていた無地の傘を広げて、ほら、と魅音に渡した。

「え?」
「さしてけ」
「で、でも圭ちゃんのでしょ?」
「いいから!」
 返そうとする魅音の手を押し返して、圭一は笑う。
「こういう時は男が濡れるもんだろ!」

 魅音の頭をぽんぽん叩いて、圭一は先程の魅音のように走り出す。「風邪引くなよ」という注意が遠くから聞こえた。
「……圭ちゃん」
 嬉しくて、魅音の瞳から、雨とは違う粒がこぼれ落ちた。
 『男が濡れるもの』。彼はそう言った。
 以前のように、魅音を男友達のように思っていない証拠だ。
 圭一に渡されたタオルに、ぎゅっと顔をうずめる。

 ──鈍感なのは、圭ちゃんだけじゃないか。
 彼の態度の変化にも、気づかなかった魅音も、同じだったよう。
 魅音はお礼を小さく呟いて、仄かに笑う。

「今度は圭ちゃんと、二人で傘入れたらいいな」


 明日は、晴れそうだ。



 



 閉鎖したブログの10000Hits記念小説でした。
 ひぐらしの小説を書いたのはこれが初めてでした。


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