小動物みたいでかわいいので、ついつい甘やかしたくなる。
 聖川真斗にとっての一十木音也への感情は、そこから始まる。




 いつものチャイムが鳴り、授業の終わりと、昼休みの開始が告げられる。

 林檎が部屋を去ると、俄に教室が活気づき始める。やはりカリキュラムに追われる学生にとって唯一とも呼べる憩いの時間なのだろう、と考えつつ、真斗は違和感に気づいた。
 この時間になれば騒がしく飛びついてくるはずの友人の声が、未だ聞こえてこない。

 何事かと眼を向けると、毎日食事の席を共にしている音也は、ぐったりと机に張り付いて伸びていた。
 尋常ならざる様子に、昼食の支度を勧めていた両手を止める。

「うぅ……」
「どうした一十木。具合でも悪いのか?」
「マ、マサ……」

 腹を押さえ、苦しげに呻く顔色は悪い。明るい笑顔は見当たらず、尚更真斗の焦燥は加速した。
 そして音也は、震える唇を僅かに動かす。

 一言一句聞き逃さぬようにと、口元に寄せられた耳に向かって、



「俺、昼飯わすれちゃった…………」






オーナーシップラン! (負けられない譲れない。だから絶対、渡さない)






「――全く、何事かと思えば……」
「えへへ。ごめんごめん」
「あの様子は紛らわしいぞ」
「だって、ほんとにお腹すいたんだもん」

 大して悪びれなく頭を下げる音也に、ひとつ溜息。
 結局本気では怒れないのだから、自分も感化されたものだな、と思う。

 庭園の前に置かれているベンチに座り、音也と真斗は並んでメロンパンを頬張っていた。

 音也は弁当どころか財布すら寮に置いてきてしまったらしい。真斗としてはカフェで一食奢っても構わなかったのだが、それは忍びないと珍しく遠慮がちな音也に、代わりに差し出したのはひとつのメロンパンだった。ただのメロンパンではなく、ふわふわの丸いパン生地の上に香ばしいクッキー生地を乗せ、程よい焦げ跡がつくよう丁寧に焼き上げられた真斗お気に入りの一品である。個人的にはクリーム入りや果肉入りは邪道だと考えているので、選んだのはメロンパンの中のメロンパンと呼べる王道の品だ。しかし随分とお気に召したのか、話したがりの音也が無言で食らいつくほどだから安心する。真斗の嗜好はどうやら一般人とはあまり合わないらしいから、多少の不安を感じていたのだが、その心配はないようだった。

 日陰のベンチは思いの外気持ちが良くて、眼を閉じると小さく風が過ぎる音がした。

「しかし、一ノ瀬特製の弁当を忘れるとは、珍しいな」

 遠ざけることも出来たけれど、逃げては追われないから、ついその名を零す。
 不用意に顔を上げて、大きく反応を示されるから、やはり気持ちは沈む。

「朝起きたらトキヤもういなくてさ! 用意しておくって言ってくれてたの、忘れちゃったんだ」

 普段は手渡しで受け取っているのだろう、と予測は思い当たるがそれは口には出さない。

「……俺のメロンパンではやはり、物足りないだろう」

 拗ねたような呟きに、我ながら驚愕する。赤面を誤魔化して咳をする。手の甲で隠した口元が、小さく震えていた。

「え、そんなことないよ。このメロンパンすっごくおいしいよ!」

 にこ−っと音也は笑う。嘘だと疑う余地もない、ただの本音と一瞬で理解る。先程まで不機嫌だったはずの心情が晴れ渡って、馬鹿みたいに浮かれてしまいそうで、そっぽを向いてまた、誤魔化す。緩む口元は、手の甲くらいじゃ隠せそうになかったのだ。


 無鉄砲なくらい正直で、自らを偽らない。
 こんな彼だからこそ、好きで仕方が無い。


「わっ、また零しちゃった」

 ぼろぼろ、と崩れるメロンパンに苦戦しているらしい、音也は乱暴に頬を拭った。勿体ないとばかりに指先を舐める横顔がひどく色を帯びていて、慌てて邪念を振り払う。

「全く、そこにもついてるぞ」

 普通に食べていればそんなところに付着しないだろう、と苦笑しつつ、指を伸ばし――



「イッキ、ここにもついてる」



「んう?」

 頬を掠めた指先に、くすぐったそうに音也が身を捩る。
 その長い指はスッと引いたと思うと、主の口元に寄せられた。甘味を舌が絡め取り、ご満悦に唇が歪められる。

「うん、甘くておいしい」
「もー、びっくりしたよレン」
「はは、ごめんごめん」

 流れるような動作を制止するどころか自身が驚きと絶望感で硬直していた真斗は、ハッと我に返ると、全身の産毛を逆立て招かれざる客に抗議の声をぶつけた。

「何故貴様がここにいる」
「レディ達と食事してたら窓からイッキが見えたから。衝動的に、ね」
「なんだそれー」

 冗談と思ったのだろう、脳天気に笑う音也の肩に馴れ馴れしく手を置いて、神宮寺レンはにや、と嫌な笑みを浮かべた。ビキリ、と真斗のこめかみに青筋が浮く。

「一十木は俺と食事の最中だ。お前は出直してきたらどうだ?」
「おやおや、随分と手厳しいことで」
「お前の面を見ていると食事が不味くなる」
「……な、中々言ってくれるな」
「人は本当のことを指摘されると言葉に詰まるらしい」

 険悪なムードが生まれる。休まず喧嘩腰で毒舌を飛ばしていると、その光景を眼にした音也は何故か嬉しそうに「二人とも仲良いね!」と声を弾ませた。真斗とレンは同時に咳き込む。

「い、イッキ、どこに仲が良いなんて形容できる要素が……」
「そうだぞ一十木。冗談じゃない、生理的に無理なんだ、止めてくれ」
「ちょっと待て聖川、流石に言い過ぎじゃないかとおも」「見てて二人ともすっごく楽しそうだもん! いいなー」

 俺もトキヤと口喧嘩とかしてみたいなー、とうきうきしている音也を見遣り、レンは深い溜息をつく。敵いそうにないと悟ったのだ。


 予想も出来ない繰り言と、その行動を司る他愛ない無邪気。
 同時にそんな感覚が、ひどく愛おしいものと気づきながら。


「うう、おいしいけど食べにくい」

 ぱらぱら、と崩れるメロンパンに苦戦しているらしい、音也は乱暴に頬を拭った。勿体ないとばかりに指先を舐める舌先の赤色に眼がいって、心臓がひとつ跳ねた。

「またついてるよ、イッキ」

 普通に食べていればそんなところに付着しないだろう、と苦笑しつつ、指を伸ばし――



「一十木、ここにもついてる」



「ん、」

 ちゅ、と見せ付けるようにリップ音を立てて、音也の頬に真斗が唇を当てていた。
 感触がくすぐったかったのだろう、音也が僅かに身を捩る。

 その短い口づけは意外とあっさりと引くと、舌で下唇を舐め、ご機嫌そうに微笑む。

「やはりここのメロンパンはうまいな」
「うん!」
「また今度持ってくる」
「え、ほんとに!? やった!」

 流れるような動作を制止するどころか自身が驚きと既視感で硬直していたレンは、ハッと我に返ると、余裕ぶったふりをして適当な声を投げかけた。

「ハ、ただの真似事とは所詮聖川財閥の実力などこんなものか」
「負け犬の遠吠えに聞こえるな」
「どこも負けちゃいないさ。それにイッキの反応を見てみろ、少しも動じていない」
「それがどうした?」
「意識している相手からの行為なら何かと反応するはずだろ」
「俺と一十木にとっては自然なスキンシップだ」
「ということは意識すらされないレベルということだろ」
「残念ながら俺の方がレベルが高い」
「いやいや俺の方が高い」
「いや正直俺の方が高い」

 俺が俺が、いや俺が、と言い争う両者は、既にそこに音也の姿がないことに暫くの間気づかなかった。




 女の子よりもかわいいので、ついつい目が離せなくなる。
 神宮寺レンにとっての一十木音也への感情は、そこから始まる。



 昼間の出来事を思い出すと、暗鬱な気持ちになって仕方が無かった。

「どんな低レベルな争いなんだ、あれは……」

 結局決着のつかない論争は、昼休みの終了を告げるチャイムにより強制終了と相成った。多くの生徒達の注目を浴びていたことにすら気づかず言い争っていた二人は、音也の不在も全く感知していなかったのだ。
 思い出すだけで渋面になる。顔に皺など作っていては女子生徒達が驚いてしまうだろうから、努めて表情は笑顔を貼り付かせてはいるが、心情は薄暗い。

 真斗とあんな風に言葉を交わしたのは、いつぶりだろう。
 それどころではない、ああして感情を露わにして言葉を行動を繰るのは、いつぶりだろう。
 音也の存在に振り回されて、自身の立ち位置にすらうまく立っていられなくなる。

 不思議な感覚は、嫌ではないし寧ろ新鮮であるのに、どこか怖くもある。周囲に渇望され、自身で許容し、形成したこの継ぎ接ぎの姿が、身包み剥がされてしまいそうで。
 それでも期待しているような、この、心は。

 部屋に着くと、電気はついていなかった。真斗はまだ帰っていないらしい。一息ついてから、貼り付いた笑顔を落とす。降ってきた無表情には気力が浮かばず、これが本質なのだと思い知る。
 特に目的なくソファにもたれると、数秒経たずノックの音がした。

 それだけで、相手が誰か分かってしまう。必ず二回の、本人と同じ性質を持った弾み澄んだ音色は、たった一人にしか鳴らせない。

「……どちら様?」

 目元を隠す仕草で、笑う唇だけ開けて、相手が誰か理解っていたのにわざと問う。降参を認めたくなかったから、ポーズだけは取って、その声を待つ。

「俺だよ俺! いーれて!」

 名乗りも上げず騒がしく鳴くものだから、からかいも忘れて了承してしまう。

 私服の音也は部屋に入ってくるなり、

「マサ!」

 と明るくその名を呼ぶ。瞬間、表情に亀裂が生じた。ソファに座るレンの様子に気づかず、音也は首を傾げた。

「あれ、まだマサ帰ってきてない?」
「……ああ」
「そっか。一緒に遊ぼうかと思ったんだけどなー。ここで待っててもいい?」
「構わないよ」

 ありがと、と歯を見せて笑った音也は、勝手知ったる足取りで踏み込むと、レンのベッドにぼす、と倒れ込んだ。
 まさかそう来ると想定していなかったレンは眼を見開いて、その姿を凝視してしまう。視線に気づき、音也がああ、と呟いた。

「ごめん、いやだった?」
「あ、いや、そんなことは」

 しどろもどろな回答が、我ながら情けない。普段はこんなものじゃない、もっと冷静に状況を分析して、他人を喜ばす方法を知っているのだと音也に教えてやりたいけれど、言葉でそれを説明しようものなら恥ずかしさのあまり聖川ではないが切腹もしたくなるだろう。「俺はこんなにすごいんだぜ」と大法螺を吹く小学生のようなものだ。


 ああ、こんなはずじゃないのに。
 どうもこの少年が相手だと、何もかも思い通りにならない。


「レンのベッド、ふかふかで気持ちいーね」
「……イッキも同じシーツだろ?」
「そうなんだけど、そうじゃないんだよな」

 稀にこうして、単純で難解な呟きをして、答えを口にせずただ、笑っている。何を考えているのか、何を見て、いるのか。どうしても知りたくなって、衝動のまま、


 一緒に倒れ込んだ。


「わわッ」

 音也が慌てた声を出す。いつものペースを崩せたことに、多少の自己満足を覚えた。
 差はあまりないが、不用意に体重をかけないよう注意する。二歳年下の少年の身体はまだ線が細く、レンに比べると華奢なものだから。

「ど、どうしたの、レン」

 様子がおかしい、と気づいたのだろう、音也が不安げに語尾を震わせた。怯えさせたいわけではないけれど、組み敷いた瞳に映るのが自分の姿だけというのが嬉しくて、鼓動が高鳴る。
 その興味と好奇心の対象は一瞬で移り変わってしまうから、たまには釘付けにするのも悪くない。

「同じ所からなら、同じものが見えるかもしれないって思ったんだよ」
「……?」
「俺の気のせいかもしれないけど」

 両手の間にある顔に、レンの言葉を理解した空気は浮かばない。それでもいい、と思った。その方がいいとも、思えた。
 腕に加える力をなくせばすぐに触れてしまいそうな唇を見つめ、雰囲気で押し流してしまおうと近づきかけ――

「神宮寺ッ!!」
「……何でこういうタイミングで帰ってくるかな」

 結局は離れてしまう。勢いよく扉を開け放ち、肩で息をしている真斗の睨みに恐れを成したふりをして、音也の上から身体をどかした。

「あ、マサ。おかえり」
「ただいま一十木。大丈夫か? 何もされていないか?」
「? うん?」

 嫌な予感がしたとか、そんな曖昧な感覚だけで急いで帰宅してきたのだろうと予想する。小さい頃から、真斗は抜けているようで人並み外れて勘が鋭い。

「神宮寺、一十木に何をしようとしていた」

 端正な顔に見たこともない怒気を浮かべ、低く唸る。きっと自分も同じような顔をしているのだろう、と内心苦笑してしまう。

「何って? お前には関係ないだろ」
「……!」
「ふ、二人とも。喧嘩はやめようよ

 どうやら昼間とは訳が違うと鈍感な音也であれ察しが付いたらしい。間に入って場をおさめようと乗り出した。
 普段なら他人の横槍と切って捨てるだろうが、音也が相手となるとお互いそうもいかない。思わず押し黙ると、音也は真斗に向き直る。

「大丈夫だよマサ、俺、こういうの慣れてるから」
「……慣れてる?」
「イッキ、それはどういう――」




「探しましたよ、音也」




 真斗の背後から、その声はかけられた。
 聞き覚えのある美声は、器用に真斗の横を通ると、やれやれ、といった風に肩を竦める。ぱあ、と音也の表情が明るくなった。

「トキヤ!」

 慌てて寄っていくと、服の裾をぎゅっと掴む。

「今日は仕事が早く終わると伝えたでしょう。部屋にいないから驚きました」
「あれ、そうだった?」
「昨日しっかりと伝えたはずですが……」
「ごめんごめん」

 笑顔のまま謝ってくる音也に、ふ、とトキヤは柔らかく笑んだ。

「そんなに私に会えたのが嬉しいんですか?」
「! ち、がうよっ」

 と否定する割には、真斗の眼には頭上で見えない犬耳がぱたりと傾き、レンの眼には見えない尻尾が上機嫌に揺らされているのが丸見えだった。

「さあ、長居していてはご迷惑でしょう。部屋に戻りますよ」
「うん! ごめん二人とも、お世話になりました!」

 元気よく挨拶を終えた音也は、トキヤについていこうとして、「ぶッ」急ぎすぎたのか唐突にすっ転んだ。床に思い切り身体をぶつけ、痛そうな効果音が生じる。

「……何をやっているんですか」
「お、俺にもよくわかんないや。えへへ」

 恥ずかしそうに顔を俯けて立ち上がろうとして、「痛!」小さな悲鳴を上げる。挫いてしまったのか、左足の付け根を押さえる動作は痛々しい。それでも健気に一歩を踏み出そうとする音也に対し、トキヤの判断は素早かった。背中を曲げて、体勢を落としたのだ。

「え? トキヤ?」
「おぶります。乗ってください」
「ええ? い、いいよそんな。俺重いし」
「仮にもアイドルを目指すものが怪我を悪化させるなど言語道断です。いいから早くしなさい」

 尤もらしい理由に誘導され、おずおずと音也はその背に体重を預けた。ふらつくこともなく軽々と立ち上がり、トキヤは歩き出す。固まっている真斗とレンに薄ら寒い無表情を向けると、

「……ということです。申し訳ありませんがお引き取りください」
 きっぱりと言い放ち、さっさと部屋を出て行った。




「……あー、」

 がしがし、と乱暴に頭を掻いたレンは、またいつものようにソファに座る。背に長い両腕を回して、天上を仰ぎ見る。

「……ふむ、」

 しみじみ、と眉を下げ頷いた真斗は、またいつものように畳に上がり、荷物を下ろす。優雅に正座すると、凛と真っ正面を見据える。

「なるほど、慣れてるってのはそういう意味、と。聖川、お前知らなかったのか?」
「一ノ瀬に『家族になりたい』と申し込まれたという話は、確かに聞いていた」
「そりゃモロだろ……。…………ま、でも」

 寧ろ心に、迷いはなくなった。
 迷っている暇などないと実感したからこそ。


 明確な敵が登場すると、隠そうとしていた真実すら、容易く見通せる。






「負ける気は、しねーな」
「珍しく同感だ」














 その日、仲の悪い二人は珍しく、声をそろえて笑った。








謎タイトルの意味は「オーナーシップ(所有)」+「プラン(計画)」+「ラン(実行)」です。前回と何故かお揃いっぽいタイトルになったので、内容もちらっとリンクしています。

真斗よりレンの方が多少自分の気持ちを自覚していた感じ。総受けおいしいですモグモグ







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