今年の大晦日は。
 今まで経験してきた年末とは、ワケが違った。





フタユメ。 (広がる未来は飽き足らず。もっともっと、高く跳ぶんだよ)






「つ、っかれた……」

 歌手としての成功を志す者、きっと誰もにとって憧れの舞台であろう、カウントダウンライブに出演を果たした。
 動員される人数も、今まで経験してきたコンサートとは規模が異なる。2011年最後の仕事ということもあって、仲間達と手と手を取り合い無事に成功させたのだが、終了後の疲労感と言ったらそれはもう言葉に表すことすら憚られるようなものだった。

 ただでさえ年末、ライブの多い時期である。お陰様で人気絶頂のST☆RISHはいくつもの番組に駆り出され、更にその存在感を飛躍的に高めた。しかし年端のいかぬ少年達の消耗は激しく、翔などは裏方に引っ込んだ直後ぶっ倒れてしまったほどだ。並々ならぬ緊張を毎度抱えていた音也も、曲の最中だというのに混乱し目が回って仕方が無かった。自尊心と自信の表れから気取るレンや、舞台慣れしているトキヤであっても、目に見えるか否かの違いはあったにせよ心境は変わらなかったように思う。今でこそベッドに四肢を投げ出しゆっくり息を吐けるものの、ステージ上でひっくり返っていても決しておかしなことはなかったのだ。

 柔らかなシーツに身を沈め伸びていると、頭上から名前を呼ばれた。なに、と声だけで弱々しく問う。
 いつものように怠けた態度を特に怒ることもなく、同室であるトキヤが用件だけを簡潔に伝えてくる。声音は少し、掠れていた。

「先に入浴させて頂いても宜しいですか?」
「……うん。いいよー」

 何故だかひどく拍子抜けして、気のない返事をしてしまう。着替えずベッドに潜るなど不衛生、この程度のことで疲れていてアイドルが務まるのかと、色々と説教を喰らうかと身構えていたのだが。存外トキヤも疲れているのだろう。突っ込む気力も音也にはなかった。

 何度か寝返りを打つと、段々と瞼が重くなってくる。そういえば最近ほとんど満足に寝ていない。身体の節節が軋むように痛む。肩を回すと固い音が鳴って、自分でも驚いた。相当の負担を与えてしまっていたのだと、今更に気づく。

 汗まみれの全身はぬかるんだ感触がして気持ち悪かったし、風呂に入りたいとは思うのだが、それ以上に睡眠への欲求が強い。
 音也の意識は唐突に闇に呑まれ、後には揺れる静寂が残った。



 なるべく時間をかけず全身を洗い、張っていた湯船につかった。
 髪先や顎から滴る水滴が水面に波紋を呼び、緩やかな時の流れを実感した。何でも無いその光景をぼんやりと眺めていると、張り詰めていた糸が解れ、ようやくまともに呼吸ができるようになる。
 額に垂れている前髪を指先で掻きあげ、わざと音を立てて息を吐いた。

 トキヤにとって、ステージそのものはそう緊張を誘う場所ではない。

 勿論、手を抜いてその場に在るわけではない。ただ、多少の慣れがあることで、僅かながら心に余裕を持つことができる。油断なく状況を見据えることも必要かもしれないが、その一方で余裕がなければ歌は歌えない。プレッシャーに立ち竦み、震え上がる声でなぞる旋律など、誰の胸に届くことがあるだろうか。

 歌い手に楽しむ余裕がなければ、ライブは絶対に成功しない――今は当たり前のように思っているが、その真実に気づけたのも、トキヤの傍にいる一人の少年の力あってのことだった。

 迷惑なもので、同室の彼は、トキヤの事情になりふり構わず首を突っ込んでくる。他者に触れることを恐れない。他者の拒絶を、恐れない。
 鬱陶しく、目障りに感じる時もあった。しかし、彼が奏でるその歌は、容赦なくトキヤの心に踏み込んでくる。持ち主と同じだ、なりふり構わないし、恐れないし、決して怯まない。そのくせ、強くて、優しい。


 負けたくない。
 そして、認められたい。
 相反しているようで合致した二つの願望は、次第に大きくなっていき。


 いつの間にか、一十木音也はトキヤにとってかけがえのない存在になっていた。



「音也、出ましたよ」



 大声を出したつもりだが、返事はない。
 無性に嫌な予感がして、勢いよく扉を開けると、案の定音也はベッドの上で寝息を立てていた。

「全く……」

 この脳天気な少年は、本当にどうしようもない。わざと肩を竦めて、ベッドの脇まで歩く。問答無用で叩き起こすつもりだった。
 だったのに、近くまで寄ってようやく、トキヤは音也の状態に気づく。

「う、んん……」

 夢でも見ているのか、眉を寄せて唸る音也の纏う服が、ほとんど脱げかけている。

 それもそのはず、ステージ衣装を片付けた後、全力を使い果たしたのだろう、音也は気を失ったように呆けて座り込んでいた。見かねてトキヤが無理矢理コートを着せたのだが、その下はただのタンクトップだった。
 寝相の悪い音也のことだ、寝ている間にコートが脱げても何ら違和感はないのだが、下着に近いタンクトップがはだけているというのは問題だ。風邪を引くとかそういった心配ではなく、トキヤ自身の諸事情として、だが。

 コートを着直させるべきか、毛布を被せるべきかと困惑している間に、音也の寝相は悪化していく。

「う、う……ー……」

 頬を掻いたと思いきや、途端に寝返りを打つ。反射的にトキヤはびくりと後退ってしまった。
 汗で首筋にはりついた髪先とか、少し上気した頬とか、蛍光灯の光に照らされた鎖骨のラインとか、むき出しの肩の細さとか、見えそうで見えない胸元とか、覗く白い腹とか、すべてに。
 目が行って、その事実から背きたいのに、瞬きすらできず、見詰めてしまう。

「おと、や」
「…………」

 反応はなかった。恐る恐ると近づき、頬に手を置く。

 少し身動ぎするが、それだけだった。ゆっくりと撫でると、何となく口元が綻んだように思えて、無性に嬉しくなる。普段冷静沈着を心がけているトキヤは、それが俗に言う舞い上がっている状態であることにも思い至らぬほど、浮かれる自分を制御できなかった。

 好奇心で、右手を移動していく。
 唇に触れる、その瞬間に、



「トキヤ?」
「――――ッ!!」



 文字通り、声が出ないほど驚いて飛び上がった。
 すんでの所で逃げ出さずに耐えたのは、音也の瞳に疑念の色がなく、眠たげに蕩けた様子をしていたからだった。
 その色に惹かれたから、と言い換えても正しい。

「ふ、わあぁ……俺、寝ちゃってた?」
「え、ええ」

 わざとらしく咳払いし、気づかれぬよう上目に音也の様子を窺う。当の本人は、タンクトップを着直すことすらせずに、長い欠伸をかましている。トキヤの焦燥とは正反対の姿だった。

 その様相を見ていると、トキヤ自身もどうでもいいか、という気がしてくる。別に何か人道に反する行為に及んだわけではない。後ろめたい行動をとったわけでも、無論ない。何かしたと言わんばかりに挙動不審でいるより、寧ろ堂々と振る舞う方が正解だろう。そう結論づけた。

「……あ、しまった!」

 慌てた声音に顔を上げると、音也が頭を抱えていた。手が小刻みに震えている。

「なんですか」
「いや、俺の初夢、今のでもう終わっちゃったってこと……だよね?」

 絶望的な瞳をして確認してくる。溜息を吐いて、応じた。

「いえ、初夢は新年早々見るとはあまり考えられていません。今日は一月一日ですから……今日の夜から明日にかけて見る夢が、初夢にあたりますね」
「そういうモンなの?」
「そういうモノです」

 急激に、音也の身体から力が抜けていく。のが、傍目にも分かった。
 倒れてしまうのでは、と反射的に支えようと手を伸ばすと、逆に手を伸ばし抱きつかれた。動転した。

「良かったー。俺、一富士、二鷹、三茄子、今年は狙ってるからさ!」
「あ、あの、おと」
「今まで一回も見たことないんだよねー。何かコツとかあるのかなあ?」
「いっ、いいから放し」
「ねえねえ、トキヤはどれか見たことある? 滅多に出て来ないよねえ?」
「おと」
「茄子はともかくさ、富士とか鷹って――」
「音也!」

 視界が反転した。
 大きな音を立てて、



 下には、唖然と瞳と口を開いた音也が組み敷かれていた。



「え、っと……トキヤ……?」

 意識が回復すると、自分のやったことが激流のように溢れだし唐突に記憶を取り戻す。抱きついてきた音也を、ベッドに押し倒してしまったのだ。
 急激に顔が赤くなった。好意で渡されたものを、勘違いして別の方法で使用してしまったような、無知と羞恥の上塗りから来るものだった。汚らしい本能を、大切な少年に見られてしまった気がした。

「……っ音也、すみません、私は――」
「あのね」

 遮られた。何を告げられるか分からない。ぐっと押し黙った。
 ひとつの闇も浮かばない、音也の瞳が瞬いた。

「俺今、夢見たんだよ」
「……夢、ですか?」
「そう。トキヤを待ってる間、居眠りして。でね、夢にね」

 一度言葉を切って、言い放つ。


「トキヤが出てきて、………………、あの」


 弾丸にして飛ばそうとした言葉は、すぐに立ち止まってしまった。
 真っ赤に染まった頬を見れば、その先はなんとなく想像できてしまった。身勝手な自己解釈で正しければ、だけれど。
 先程の失態でどこかネジが外れてしまったのか、言葉はさらりと出た。

「私と何をしたんですか?」

 う、と次は音也の息が詰まった。唇を噛みしめ、視線を右に左に彷徨わせる。困惑と躊躇がありありと浮かんでいた。けれど、トキヤの追及から逃げる術を知らず、言い出した手前逃走もできないと追い詰められている。
 可愛い、と思った。もっと甘やかしたい。し、もっと虐めたい。困らせたい。背反の感情が背筋を辿る。恐怖でない衝動に震えが走った。

「お……おこったり、しない?」
「しません」
「きらいに、ならない?」
「なりません」
「…………な、こと」
「なんですか?」




「えっち、なこ、と。………………した」




 電流に似た痺れが、突き抜けた。
 枕で顔を隠そうとした音也の両腕を片手で拘束する。泣きそうな顔でばか、と罵られる。対する効果は煽られただけと、音也は知らないだろうけれど。

「どんな風に」
「っえ?」
「どんな風に、私は音也に触っていましたか」

 そんなことを問われるとは思っていなかったのだろう、一瞬音也の表情が凍った。頬を撫でると、恐る恐ると口に出す。

「……優しかった」
「その方が良いですか?」

 戸惑いを露わに首を傾げられ、余裕ない表情で、返す。

「優しくなくても、許してくれますか?」
「……っ」

 う、あ、と意味を成さない音がいくつか喉から洩れた。その間ずっと、トキヤは音也から眼を離さなかった。二度と離したくなかった。
 トキヤ、と小さな呟きが耳元を掠った瞬間に、覆い被さっていた。

「!」

 身を竦ませた音也をこれ以上怖がらせたくなくて、手首の拘束を解く。逃げ出したりはしなかったから、許されたと思い込んで唇に合わさった。

「トキ、っん、」

 奪うように食らいつく。初めて触れた唇は、柔らかく少し弾力があって、温かい。もがく両手を塞いだ。恋人繋ぎだった。

 驚いたのか、その一瞬だけ音也が固く閉じていた口を開いた。隙を逃さず入り込む。歯列を舌先でなぞると、腕の下で音也の息が上がり始めた。限界を訴えているのか、爪がきつく食い込んでくる。ささやかな抵抗にすら、そそられた。抑えることなどできなかった。
 血が垂れるまで、引っ掻いてほしいとも思う。

「ん……っうぁ、」

 舌と舌で、絡み合う。火を吐くほど赤い舌から零れた銀の糸が、細く筋を引く様子がはっきりと眼に残った。現実を拒むようにきつく閉じられていた音也の瞳がうっすらと開く。顎から首筋に、どちらのものともつかない唾液が滴り淫靡に濡れている。隠しきれない情欲の熱が、ひっそりと覗いていた。

「ほんとに、優しくない……」
「宣言した通りです」

 鎖骨の線を舌で舐めると、肢体が震えた。構わず続けるが、音也は声を出さないよう我慢しているのか苦しげな息づかいしか聞こえてこない。軽い苛立ちを含ませて問う。

「何故声を抑えているんです」
「恥ずかしい、っから」
「私が楽しくないです」
「別にいいよそれで!」

 むっときて思わず、鎖骨を噛む。
 一層強く、音也の身体が震えた。
 声を出さぬよう必死なのだろう、「……っ!」とくぐもった悲鳴が聞こえて、それにも一種の快感を覚える。自分の性癖が我ながら恐ろしくなってきた。

 しかし涙目に見上げられた途端に、夢から醒めたように鋭い罪悪感が胸を貫いた。

「トキヤは、ずるい……」

 挙げ句の果て、堪えきれなかった涙が零れるものだから、冷や汗を流して硬直してしまう。

 泣かせたことなど今までなかった。だから泣き顔を見るのも、初めてだった。
 色っぽいとか、そういう感想が浮かぶ前に、普段明るく振る舞う少年が泣き声も上げずただ涙を流すその光景は痛々しい。
 潤んだ瞳は、問答無用にトキヤを責めている。

「俺、恥ずかしいのに、がんばって……夢のこと話したのに……トキヤはなんにも言って、くれないんだ……」
「っ」

 音也の言う通りだった。思えばはやとちりするばかりで、自分の気持ちなど何一つ音也に伝えていないではないか。これでは、遊び半分で手を出していると勘違いされても致し方ない。寧ろ、その見解が間違っていると証明する方が難しいかもしれない。

 トキヤの動きが停止したのを確認してから、再び音也は腫れぼったい唇を開いた。

「もし、今日見たものが初夢って言うなら……トキヤだったから、それでいいって思ってた」

 ああ、だから。
 それを否定されたとき、トキヤの声すら聞こえなくなって抱きついてきたのだと、ようやく理解する。
 不安で仕方なかったのだ。きっと罪悪も後悔も感じて、がんじがらめになって。
 そんなことちっとも、気づけなかった。

「トキヤのことすきだよ」

 反応する前に、だけど、と言葉が続く。

「俺、わがままだから……トキヤもそうじゃないと、だめかも……」

 控えめな言葉だった。傷ついた音也はそれでも、トキヤを気遣ってくれていた。
 いつだって損ばかりする、それなのに少しも恨み言を洩らさない、前向きに生きようと努力する、
 そんな音也が、

「すき、ですよ」
「え?」

 ぽろり、と想いは唇から零れた。
 これ以上呑み込んでいるのは無理とばかりに、吐き出される。



「好きです、音也」



 ドラマや映画みたいに、格好つけた言葉を。
 演出する余裕なんて、子供の自分には見当たらなくて。
 そのかわり、それ以上はない。
 それ以上の愛の言葉は、どこにだって、ないから。

 キスをした。
 逃げかけた肩を宥めて、抱きかかえる。
 唇をこじ開けたりせず、ただ表面に触れるだけの口づけ。
 それでも、先程よりずっと、心は近く感じていた。

 離れると、音也がふわりと微笑んだ。不意打ちの表情に、鼓動が高鳴る。
 泣き顔だけでない、未だ他にも知らない顔がたくさんあるのだと、思い知る。

「……トキヤ」
「はい」
「今日も俺、トキヤの夢、見たい」

 どうか、そう。

















「…………夢見る暇も与えませんが、覚悟してくださいね」



 今年はきっと、そんな君に会えますように。








お正月ほのぼの話にしようとしていたはずが、最終的にイラッとくるくらいイチャつくトキ音になってしまった気がします。

こんなサイトと管理人ですが、今年も宜しくお願いいたします!







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